《生きてるぜ 三途の川より天の川》。七夕を間近に控えた7月上旬の週末、東京・青山斎場で開かれた砂川啓介さん(享年80)の一周忌法要。弔辞を読んだ毒蝮三太夫(82才)は、昨年7月11日に尿管がんで他界した盟友にこんな句を送った。
その日、参列したのは毒蝮のほか、十朱幸代(75才)など故人と親しかった150人ほど。白い菊の花で飾られた壇上には優しく笑う故人の遺影が置かれ、最後のお別れに花を添えた。しかし、賑わう会場に砂川さんの最愛の妻である大山のぶ代(84才)の姿はなかった。
昨年、砂川さんが亡くなった際には葬儀・告別式は近親者のみで行われた。
「生前の砂川さんは“自分がペコ(大山の愛称)より先に逝ったら、葬儀はしないでほしい。ペコの病状を多くの人が気にするから”と話していました。それでも今回、砂川さんと親しい人々から、“きちんとしたお別れをしたい”という声が多く寄せられ、親族の意向もあって一周忌の法要を開くことになりました」(砂川さんの知人)
弔辞では砂川さんの60年来の友人である毒蝮が、妻の看病に明け暮れた砂川さんを労った。最後に大山の「今日はありがとうございました」とのテープメッセージが流れ、夫婦の変わらぬ絆の強さを感じさせたものの、実は舞台裏には「すき間風」が吹いていたという。
「喪主は大山さんでしたが、彼女は認知症の症状が進んで介護施設に入っており、役割を果たせる状態ではありません。そこで30年来の女性マネジャーのAさんが親族の意向を聞き取り、準備や手配に駆けずり回りました。しかし、親族とAさんには“お金の不信感”があるそうで、不穏な雰囲気がひしひしと伝わってきました」(前出・知人)
大山と砂川さんは、東京五輪が開かれた1964年に結婚。大山は亭主関白の砂川さんを誰よりも理解し、ドラえもんの声で大人気を得てからも常に一歩下がって夫をサポートした。
おしどり夫婦に大きな転機が訪れたのは2012年だった。認知症を患った大山は5分前のことも忘れるようになり、排泄処理も自力でできなくなった。トイレの使い方がわからなくなり、ところかまわず粗相する妻の排泄物を夫は黙々と処理した。
「認知症発症後、砂川さんは仕事を辞めて1人で介護を抱え込みました。大山さんのイメージが壊れることを避けるため、周囲に認知症を隠したので心労は募るばかり。精神的にも肉体的にも追い詰められた日々を過ごしていました」(スポーツ紙記者)