タレントの上沼恵美子(63才)が、結婚41年目となる夫と別居状態にあることが明らかになった。
7月中旬の週末。大阪市内から車で40分ほどの高級住宅地にある約100坪、3階建ての豪邸は雨戸をすべて閉め切り、ひっそりしていた。午前11時、宅配便の配達員がこの家を訪れると、ひとりの女性が玄関に姿を現して荷物を受け取る。その後、女性はペットホテルから帰ってきた愛犬を玄関で迎えた。
翌日の午後、うだるような暑さの中を女性は帽子を深めにかぶり、サングラスとマスクで顔を覆って外出した。彼女が家を出ると、がらんとした豪邸を静寂が包んだ。この女性が上沼。今、この豪邸に彼女以外の住人はいない。
上沼は17才の時に姉・万里とともに漫才コンビ「海原千里・万里」としてデビュー。1977年に関西テレビのディレクターだった上沼真平さん(71才)と結婚すると芸能界をスッパリと引退した。
だが翌年、「専業主婦は耐えられない」と本名で芸能界に復帰すると、歯に衣着せぬ本音トークで人気を博し、“西の女帝”として数多くの冠番組を獲得。1994年から、2年連続でNHK紅白歌合戦の紅組司会を務めるなど、関西では誰もが知る名司会者となった。
「恵美子さんは売れっ子になってからも毎朝、自分の仕事に出る前に家事をこなして真平さんを送り出していました。真平さんはいわゆる“昭和のお父さん”で家事はすべて妻任せ。恵美子さんは忙しい日々を過ごしながらも、“本業は主婦”という思いで亭主関白な夫に尽くしていました」(上沼の知人)
家庭を第一にする上沼だが、テレビでは家族にモノ申すことが多かった。
「以前は姑についてのネタが“鉄板”で、『22才で出産した頃、赤ちゃんの夜泣きで姑から散々イヤミを言われて地獄だった』とよく話していました。近年は夫への愚痴が多く、『結婚生活がしんどい』、『遠回しに別居を申し出たら夫に怒られた』などと打ち明けていました。もちろん冗談めかしてでしたが…」(在阪テレビ局社員)
だがこれはテレビ用のネタではない。冒頭のシーンのように、上沼の“ひとり暮らし”はすでに始まっていたのだ。
◆夫の定年を機に関係が変わった