エキゾチックな顔立ちに美しい肢体──1971年、フラワー・メグは彗星のように現われた。雑誌のグラビアを席巻、日本で初めてテレビで裸を晒し、瞬く間に世の男性たちの心を掴む。だが、わずか1年で引退。「伝説のヌードモデル」が、当時を振り返る。
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デビューのきっかけは、当時ショーガールとして働いていたゴーゴークラブに雑誌『平凡パンチ』の方がいらして、撮影を依頼されたことでした。裸の撮影への抵抗は一切なく、見る人の心を揺さぶりたい一心で臨みましたね。
真冬の玄界灘で今にも沈みそうな難破船に乗り込んだり、早朝の無人駅で裸になってゲリラ撮影をしたり。鳥取砂丘を傷だらけになりながら全裸で転がったのに、局部が写ってしまいほとんど使えなかったこともありました(笑い)。
ヌード撮影はセックスに似ていると思います。初めは構えているけど、レンズの視線とシャッター音に次第に気持ちが高揚して、生身の自分をさらけ出していく。自分も知らない新たな一面を発見することでもありました。
1年で引退した理由は妊娠が発覚して結婚したから。それからは「フラワー・メグ」を封印し、子供にも隠して生きてきました。でも10年程前、成人した子供が偶然インターネットで私の写真を見つけたんです。初めはびっくりしていましたが、幸いにも受け入れてくれて、今では応援してくれています。最近、活動を再開しましたが、年頃の孫に嫌われないかが心配ですね(笑い)。
【プロフィール】ふらわー・めぐ/1951年10月7日生まれ、東京都出身。赤坂にあったゴーゴークラブ「スペースカプセル」でショーガールとして働いているところをスカウトされ、1971年にデビュー。深夜のお色気番組『23時ショー』(テレビ朝日系)のカバーガールを務めた。結婚を機に引退するも、近年活動を再開。
※週刊ポスト2018年8月3日号