日本人は、「死生観」という独特な概念を育んできた。歴史上有名な書の中にも、それを考えさせられる作品が数多くある。宗教学者・山折哲雄氏が「読まないと後悔する本」として挙げる、死生観を考える7作品とは──。
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まず「死生観」というコトバに注意してほしい。これは幾世紀もの歳月をこえて日本人に好まれ愛されてきたコトバだ。それに、生と死がひとつながりになっている。表裏一体になっている。こんな表現は英語などの西欧語にはみられない。そこでは生と死は分離し断絶していて、ひとつづきにはならない。それが近代の現代語にも受け継がれ、たとえば死の定義についても心臓死とか脳死とかいう。ここでは死が生と切り離されて点でとらえられている。
けれども古くわが国の『万葉集』【1】では、人の死は「もがり」という生から死にいたるプロセスの中でうたわれ、意識されていた。「もがり」とは、生理的には死の兆候を示していても、魂はまだのこっていて、もとの肉体にもどってくる可能性があるという考え方だった。社会的にはまだ生きているというもので、生から死へのプロセスに重きを置く人生観だった。そこから生とは死を受け入れること、つまり死を覚悟する人生といった観念が生みだされることにもなった。
面白いことに古代的な「もがり」の期間には、死にゆく人の身分や状況に応じて違いがあったということだ。庶民の場合は三日とか五日、貴人とか武士の場合は一週間とか一〇日、さらに天皇の場合は一年あるいはそれ以上と、大きな幅があった。後継者の有無、権力移譲の争いなどがからまり、それが落ちつくまでは死者をまだ生きている存在とみなして、死の社会的告知をひかえるという慣習がのちのちまで生きのこった。