ここ数年、街で見かけるマツダのクルマにハッとして、思わず振り返った人は少なくないはず。“魂動”と呼ばれるマツダのデザインコンセプト、その生みの親が常務執行役員デザイン・ブランドスタイル担当の前田育男氏だ。同氏に、マツダ車のデザインが劇的に変わった経緯と細部へのこだわりについて聞いた。
(【前編】【後編】でインタビューをお届けします)
──10年前の2008年にリーマンショックが起き、その余波で、マツダの親会社だった米国のフォード社がマツダの資本を引き上げました。そんな苦境の中、前田さんがデザイン本部長に就任され、魂動デザインを発表。その魂動デザインをまとった市販車を2012年以降、続々と市場に投入してきました。
前田:フォードグループから離れ、1人で生きていかなければいけない状況が起こったのは大きいと思います。まさに生きるか死ぬかという状況。ならば、もう覚悟を決めないといけないということで、プロパーのメンバーたちが本当に一枚岩になれました。マツダの明日はなくなるかもしれない、相当危ないと、みんなが真剣に思った時期なので、いろいろ考えましたね。
──具体的に、社内でどんな議論をしたのですか。
前田:マツダというブランドが単独で生きていけるぐらいの価値を持たないと、この急場を何らかの形でしのいだとしても、絶対にまた、そのうちに同じことが起こるという危機感を共有できたんです。
だからこそ、我々の強みを最大化するという点と、そもそも我々の強みとはいったい何なんだという問題意識をきちんと深掘りできました。うわべの議論でなく、まさに鬼気迫る感じだったですね。
我々は不器用なので、世の中のトレンドに上手に乗ってという商売は苦手だし下手です。であれば、愚直に本質を追求したクルマを作っていくしかない。投資と利益のバランスなど課題はたくさんありましたが、そこだけはぶらさずに固定しました。
──とはいえ、売れるクルマを作るためのマーケティング、市場リサーチには前田さんは否定的です。
前田:それは僕の中でのプロ意識。プロが最大限努力して出したデザインの答えが答えであって、それ以上のものを第三者から出してもらえるのであれば、それはプロではありません。
誰よりも真剣にいま作っているクルマのデザインに向き合い、誰よりも考え抜き、誰よりも最大限に自分のスキルを使っているという自負がないと、絶対にいいものはできません。それ以上を望むのであれば、僕とデザインチームごと変えてくれ、というぐらいの腹決めだったですね。