漫画家・細川貂々さんが描く『お多福来い来い てんてんの落語案内』が発売される。その中には、宗教学者で浄土真宗本願寺派如来寺住職の釈徹宗さんとともに落語へ通うシーンが描かれている。この度、そんな2人の落語対談が実現した。
貂々:釈先生はこんなに落語に詳しくて、ご自身でやったりはしないんですか?
釈:ぼくは絶対しないと決めてるんです。下手な素人の落語を聴かされるほど、つらいことはないじゃないですか(笑い)。
貂々:私、初めて先生の大学(大阪・相愛大学)の公開授業で「相愛寄席」に行った時、前座さんが話しているときなどは寝ている人もいるので、すごくビックリしました (笑い)。
釈:学生と寄席に行くと、最初は誰も聴いていませんよ。みんなスマホを夢中になって見ている。でも、トリの落語家さんが登場すると、自分の祖父よりももっとおじいさんが語っているのに、自然に語りの世界に引き込まれて、いつしかチューニングして大笑いしています。
でもね、それでいいんです。寄席ってチームプレーなんですよ。前座の開口一番から始まって、マジックや漫才を挟んでだんだんベテランの落語になって、最後は名人といわれる落語家のトリで、満足して帰っていただく。それは見事な連係プレーです。
貂々:そういうみなさんのムードは私も感じました。私が行った時、大トリの演目は『まめだ』でしたが、帰り道、銀杏並木を見て、まめだ(豆狸)の最後のシーンを思い出して、涙が出てくるほど、どっぷりと世界に入ってしまいました。
釈:落語は基本的に聴く側のイマジネーションに委ねた芸です。そのいちばんの武器は共感なんですよね。弱い人間やダメな人間が登場人物に出て来るのは、いちばん共感できるからです。みんな「ああ、こんな人、おるな」とか「自分もそんなところがある」と思えるじゃないですか。
貂々:私は今、『七段目』に登場する舞台が大好きな若旦那に、すっかり重なっています(笑い)。
釈:だから聴き手のイメージを限定してはいけない。たとえば、「向こうから樹木希林のようなおばあさんが来るね」などと語ってしまうと、聴き手のイメージは樹木希林さん一色になってしまう。
「おばあさんが来るね」にとどめれば、それぞれのおばあさんのイメージがふくらみます。でも、名人といわれる人の高座は、明らかにみんなのイメージがシンクロしてるのがわかるときがあるんですよ。それぞれが勝手にイメージを描いているのに、そのイメージが共有されて、その場にいる心地よさを感じるんです。
貂々:その場にシンクロすることができれば、身も心も心地よくなり、いっそう落語が楽しめるんですね。
釈:楽しむためには、心のバリアをおろさないといけません。バリアを張っていると落語家の話をキャッチできないですから。
貂々:先生のお話を伺って、人生に行き詰っている人がいたら、ますます落語がおすすめだと思いましたし、私自身、もっともっと勉強していきたいなと思ってます。
釈:まずはこの本を読んで、読後、寄席に行ってみようと思ってくれたら大成功ですね(笑い)。
貂々:そうですね、大成功です!
※女性セブン2018年8月9日号