大阪府八尾市内にそびえ立つ4階建てのビルは、近隣では「天童御殿」と呼ばれている。その名の通り、天童よしみ(63才)が建てた自宅兼事務所である。
そこから数分ほどしか離れていない場所にある和風建築の豪邸。玄関先には高さ5mはありそうな、見事な剪定の松が植えられ、格子の門扉が落ち着いた風情を醸し出す。
そこは天童の実家である。母親の筆子さん(85才)が暮らしており、現在、天童もそこに同居する。その理由は、およそ1か月前、その実家で“ある事件”が起こったからだという。
「筆子さんが庭仕事中に転倒して、腰を強く打ち付けて動けなくなったんです。筆子さんはすぐに病院に入院して、両脚に人工股関節を埋め込む緊急手術を受けたそうです」(天童家の知人)
思わぬ出来事に衝撃を受けたのはほかならぬ天童だ。
「筆子さんは85才という高齢なのでそのまま病院にお世話になるという選択肢もありましたが、手術後すぐに自宅に戻りました。しかし、それまで通りにスタスタと歩くというわけにはいきません。天童さんは介護ヘルパーに頼る時もあるそうですが、仕事をこなしながら、基本的に1人でお母さんを見るそうです。彼女にとってお母さんはあまりに特別な存在ですからね」(前出・天童家の知人)
この母娘は特別な絆で結ばれている──。
天童は1954年に和歌山県で生まれ、その後大阪で育った。幼い頃から歌が飛び抜けて上手で、5才からちびっこのど自慢大会の賞を総ナメにして「のど自慢荒らし」と呼ばれた。
中学3年生のとき、天童は10週勝ち抜くと歌手デビューできる音楽番組『全日本歌謡選手権』(日本テレビ系)に出演した。
「番組の収録に筆子さんは同行して1週、2週と勝ち抜いていく娘を応援していました。10週目の直前には天童さんが足を骨折するアクシデントがありましたが、筆子さんは娘をおんぶして楽屋入りしました。おかげで天童さんは見事に10週を勝ち抜き、晴れてプロデビューすることになりました」(音楽業界関係者)
中学卒業と同時に天童は筆子さんと2人で上京し、二人三脚で芸能活動を始めた。タクシー運転手だった父の義行さんは単身大阪に残り、妻と娘を遠方から支えた。1972年のデビュー後、周囲から何と言われても筆子さんは娘のもとから離れなかった。