ライフ

磯野家と現代の食卓、そのあまりに大きな差異について

食卓は美しく清潔になったが(写真:アフロ)

 戦後、日本は豊かになった。いただきますと食事の前に手を合わせる意味合いも変化しているのかもしれない。長谷川町子氏が描いた磯野家の食卓と現代との差異について、食文化に詳しい編集・ライターの松浦達也氏が指摘する。

 * * *
 今年も終戦記念日が近づいてきた。年々、当時の記憶を持つ人は少なくなり、かの大戦は「記憶」から「歴史」へと上書きされようとしている。昭和21年に連載がスタートした新聞マンガを読み返したところ、そこには当時と現代の食事情の違いが浮き彫りにされていた。

 1946(昭和21)年4月22日、終戦から6ヶ月後、西日本新聞の関連紙である福岡の地方紙「フクニチ新聞(夕刊フクニチ)」で『サザエさん』は連載をスタートさせた。作者はもちろん長谷川町子。作中には当時の食事情も描かれている。

 例えば連載2回め。サザエはラジオから流れる音声をもとに「めあたらしいだいよう食でもつくろかな」と代用食づくりに精を出す。「おいものきりくずやニボシのくずを入れます」のくだりは聞き流すが、「さいごにヌカをいれよくかきまぜます」という音声に「?」となり、4コマめで「ただいまはニワトリのえさについてもうしあげました」とオチがつく。代用食を作るつもりが、鶏のエサを作ってしまっていたという話だ。

 長谷川町子は1920(大正9)年佐賀県に生まれ、福岡で育った。九州北部は、その当時にして長く鶏食文化が育まれてきた地域だ。前出の回からは少なくとも九州北部の一部地域では一般家庭で鶏を飼い、えさの配合までしていたことが伺える。

 他の回からも、各家庭で鶏を飼っていたという食事情は見て取れる。1947(昭和22)年に描かれた回では、波平自ら「トリゴヤはよほどがんじょうにしておかんと」と庭に鶏小屋を建てながら、「おとなりでもとられたんですって」と心配するサザエと会話する光景も描かれている。

 そのほか、波平が「みずたきでもしてくおうや」と生きた鶏を持って帰ってくる回ではサザエが「まにあわせにかごにいれておきましょう」と放っていたら鶏がカゴごと逃げ出すというようなエピソードが描かれている。

 この回が実にシュールで、帰宅後に家の廊下でサザエと話す波平のいでたちはスーツにコート。帽子もかぶっていて、左手に革のブリーフケースを提げている。ところが右手には生きた鶏の両足をむんずとつかみ、逆さ吊り状態で鶏を提げている。これから水炊きにするために生きた鶏を持ち帰り、その鶏を家屋内に持ち込むことに抵抗がない。この頃はまだそういう時代だったのだ。

 実は長谷川町子は、この当時すでに東京に居を構えていた。『サザエさん』連載開始から1年もたたないうちに東京の出版社から仕事の依頼があり、1946(昭和21年)の暮れに上京していた。

 その後、戦後復興が進むにつれて、(特に生きた)鶏の登場頻度は減ってくるが、数年後の1950(昭和25)年にも7月の回では庭でワカメが鶏を追いかけ回す光景が描かれているし、12月にはまたも波平がらみで鶏を食べるシーンが描かれている。

 帰宅した波平が「いいにおいだな」「トリのごちそうだな♪♫」とセリフに音符が飛び交うほど上機嫌で食卓につこうとすると、場の雰囲気が妙に暗い。「どうしたんだ?」と波平が聞くとワカメが「うちのニワトリしめたの」と答える。最後のコマでは「シーン」という効果音とともに、お通夜のような雰囲気で磯野家が鶏鍋をつつく光景が描かれている。

 それから80年近くが経った現在、都市部では鶏を飼う家庭はほぼ皆無となった。鶏に限らず肉や魚、食卓に上るものがどこからどうやって来たのか、子どもはおろか大人でさえ生産の現場を知らない。だが、磯野家の人々が感じたような複雑な気持ちによって育まれるものもあるのではないか。

 当時の磯野家の人々が口にする「いただきます」と、現代社会を生きるわれわれの「いただきます」。その言葉の重みはあまりに違う。

トピックス

会話をしながら歩く小室さん夫妻(2025年5月)
《極秘出産が判明》小室眞子さんが夫・圭さんと“イタリア製チャイルドシート付ベビーカー”で思い描く「家族3人の新しい暮らし」
NEWSポストセブン
寄り添って歩く小室さん夫妻(2025年5月)
《木漏れ日の親子スリーショット》小室眞子さん出産で圭さんが見せた“パパモード”と、“大容量マザーズバッグ”「夫婦で代わりばんこにベビーカーを押していた」
NEWSポストセブン
ホームランを放ち、観客席の一角に笑みを見せた大谷翔平(写真/アフロ)
大谷翔平“母の顔にボカシ”騒動 第一子誕生で新たな局面…「真美子さんの教育方針を尊重して“口出し”はしない」絶妙な嫁姑関係
女性セブン
六代目体制は20年を迎え、七代目への関心も高まる。写真は「山口組新報」最新号に掲載された司忍組長
《司忍組長の「山口組200年構想」》竹内新若頭による「急速な組織の若返り」と神戸山口組では「自宅差し押さえ」の“踏み絵”【終結宣言の余波】
NEWSポストセブン
1985年、初の日本一は思い出深いと石坂浩二さんは振り返る(写真/共同通信社)
《阪神ファン歴70数年》石坂浩二が語る“猛虎愛”生粋の東京人が虎党になったきっかけ「一番の魅力は“粋”を感じさせてくれるところなんです」
週刊ポスト
第1子を出産した真美子さんと大谷(/時事通信フォト)
《母と2人で異国の子育て》真美子さんを支える「幼少期から大好きだったディズニーソング」…セーラームーン並みにテンションがアガる好きな曲「大谷に“布教”したんじゃ?」
NEWSポストセブン
俳優・北村総一朗さん
《今年90歳の『踊る大捜査線』湾岸署署長》俳優・北村総一朗が語った22歳年下夫人への感謝「人生最大の不幸が戦争体験なら、人生最大の幸せは妻と出会ったこと」
NEWSポストセブン
漫才賞レース『THE SECOND』で躍動(c)フジテレビ
「お、お、おさむちゃんでーす!」漫才ブームから40年超で再爆発「ザ・ぼんち」の凄さ ノンスタ石田「名前を言っただけで笑いを取れる芸人なんて他にどれだけいます?」
週刊ポスト
違法薬物を所持したとして不動産投資会社「レーサム」の創業者で元会長の田中剛容疑者と職業不詳・奥本美穂容疑者(32)が逮捕された(左・Instagramより)
「よだれを垂らして普通の状態ではなかった」レーサム創業者“薬物漬け性パーティー”が露呈した「緊迫の瞬間」〈田中剛容疑者、奥本美穂容疑者、小西木菜容疑者が逮捕〉
NEWSポストセブン
大阪・関西万博で「虫が大量発生」という新たなトラブルが勃発(写真/読者提供)
《万博で「虫」大量発生…正体は》「キャー!」関西万博に響いた若い女性の悲鳴、専門家が解説する「一度羽化したユスリカの早期駆除は現実的でない」
NEWSポストセブン
違法薬物を所持したとして不動産投資会社「レーサム」の創業者で元会長の田中剛容疑者と職業不詳・奥本美穂容疑者(32)が逮捕された(左・Instagramより)
《美女をあてがうスカウトの“恐ろしい手練手管”》有名国立大学に通う小西木菜容疑者(21)が“薬物漬けパーティー”に堕ちるまで〈レーサム創業者・田中剛容疑者、奥本美穂容疑者と逮捕〉
NEWSポストセブン
前田健太と早穂夫人(共同通信社)
《私は帰国することになりました》前田健太投手が米国残留を決断…別居中の元女子アナ妻がインスタで明かしていた「夫婦関係」
NEWSポストセブン