「超空の要塞」と呼ばれ、日本本土爆撃を行ったアメリカの爆撃機B29。その搭乗員たちが何より恐れた日本軍パイロットたちがいた。ジャーナリストの井上和彦氏が奇跡の生還を果たした軍曹の証言をもとにレポートする。
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日本本土空襲にやってきた米軍B29爆撃機に対して二度も体当たり攻撃を敢行し、奇跡の生還を果たした空の英雄がいた。
板垣政雄軍曹(のちに加藤に改姓)である。
昭和16年9月に東京陸軍航空学校を修了後、大刀洗陸軍飛行学校と台湾で戦闘機操縦教育を受けた板垣氏は、昭和19年2月に調布基地(東京)の飛行第244戦隊に配属された。
主な任務は、40機の三式戦闘機「飛燕」をもって帝都に来襲する米軍爆撃機B29を迎え撃つ防空戦闘であった。
だがB29は高度1万mを飛来するため、その迎撃は難しくパイロットには高度な技倆が求められた。そこで日本陸軍が編み出した戦術の一つが、極限まで軽量化した戦闘機による“体当たり攻撃”だった。板垣軍曹が述懐する。
「我々が邀撃(迎撃)に上がったんですが、高度7000~8000mぐらいまでしか上がれませんでした。B29は1万mの高高度で飛んできますから、まったく届かなかったんです」