祖国を護るために身を捧げた多くの軍人たちの生き方は、我々に多くのことを語りかけてくる──。
太平洋戦争後期、1945年2月19日から米海兵隊と日本陸軍守備隊によって繰り広げられた硫黄島の戦い。第二次世界大戦屈指の激戦として知られる。
硫黄島守備隊の最高指揮官として栗林忠道が着任していた。戦いを前に、日本軍の約3倍もの兵力を有していた米軍は「5日で落とせる」と豪語したという。
しかし、栗林は地下陣地を構築して持久戦、ゲリラ戦を展開し、5日どころか、激戦は36日間続いた。日本軍守備兵の戦死者数は2万1900人。一方の米軍死傷者数も2万8000人以上と夥しかった。
そのため戦後、軍事史研究家や米国軍人に「太平洋戦争における日本軍人で優秀な指揮官は誰か」と聞くと、栗林の名を挙げる人物が多かった。
●取材・構成/浅野修三(HEW)
※SAPIO2018年7・8月号