祖国を護るために身を捧げた多くの軍人たちの生き方は、我々に多くのことを語りかけてくる──。
1910年4月15日、半潜航訓練中の海軍第六潜水艇は佐久間勉艇長以下14名が殉職する事故に遭う。
事故から2日後に引き揚げられた艇内からは、佐久間艇長の遺書が発見された。死期が迫る中、明治天皇に対し、潜水艇の喪失と部下の死を謝罪。続いてこの事故が潜水艇発展の妨げにならないことを願い、事故原因の分析を記した後、部下たちの家族までを慮る内容だった。海軍関係者のみならず、国内外に大きな反響を呼んだ。
佐久間記念交流会館(福井県若狭町)の語り部が語る。
「国内では修身の教科書に取り上げられたこともありました。米国ではセオドア・ルーズベルト大統領により、遺言の英訳を刻んだ銅板が米国立図書館に設置され、日米開戦後も撤去されていません。またイギリスの王室海軍潜水史料館でも佐久間と第六潜水艇について説明されています」
●取材・構成/浅野修三(HEW)
※SAPIO2018年7・8月号