祖国を護るために身を捧げた多くの軍人たちの生き方は、我々に多くのことを語りかけてくる──。
今村均は、1942年、軍司令官としてオランダ領東インドを攻略する蘭印作戦を指揮。最大規模の上陸作戦となったジャワ(現・インドネシア)上陸作戦では、9日間で蘭・英・米・豪軍を無条件降伏させ、日本を大勝に導いた。
その後の占領地行政で見せた今村の手腕も注目に値する。衣料不足が深刻化していた日本は、ジャワ特産の白木綿の大量輸入を今村に命じた。ところが、今村はこの要求を拒否。ジャワの住民から白木綿を取り上げることは彼らの日常生活を圧迫すると考えたからだ。
従軍記者であった大宅壮一が後に語ったところによると、今村はまた、オランダ統治下では禁止されていた『インドネシア・ラヤ』という歌をレコードにして配布し、現地人にとても喜ばれたという。
終戦後、今村が軍事裁判を受けるため刑務所へ収容されると、今村の軍政下で解放されたスカルノらインドネシアの独立運動家らが、その恩に報いるため、助命嘆願運動を起こした。死刑判決が出たら救出作戦まで考えられていた。
オーストラリアの軍事裁判で禁錮10年の刑を受けた今村は巣鴨拘置所に送られたが、劣悪な環境にいる部下を思い、「部下がいるマヌス島で服役したい」と自ら希望した。それを聞いたマッカーサーは、「初めて真の武士道に触れた思いだった」と語ったという。
●取材・構成/浅野修三(HEW)
※SAPIO2018年7・8月号