作家の甘糟りり子氏が、現代の「ハラスメント社会」について考察する。今回は東京医科大で行われていた女子と多浪受験生に対する入試得点の不正操作について。
* * *
東京医科大学の件を知った時、ノー天気にも、もしやフェイクニュースなのかと思った。だって、受験の際に女子学生が一律に得点を不正操作され、意図的に合格率を下げられているなんて、まともな国のまともな学校のすることとは考えられないから。日本は文明国ではなかったっけ?
しかし、同大学では、実際に2006年頃から受験者にはなんの説明もなく、女子というだけで不利な扱いをされていたというのである。それどころか、各ニュース番組やワイドショーによれば、東京医科大学に限ったことではなく、さまざまな大学の医学部の入試で女子に対して採点の操作が行われているというではないか。
成績順に合格させると女子の比率が高まる(成績順だと医学部のほとんどは女子大になってしまうという人もいるらしい)。女子の比率が高まると、医師になってから、結婚や出産、育児で離職率が高く、勤務形態を維持できないという理由からだ。
パソコンの前で一人、思わず声をあげてしまった。女子受験生たちの無念を思うと、怒りで心も身体もわなわなと震えそうだ。これを差別といわずになんというのだろうか。
去年、ハリウッドでの女優の告発をきっかけに起こったいわゆる「#me too」の流れを、現代の公民権運動という人もいる。1950年代~60年代のアメリカで、アフリカ系アメリカ人が公民権の行使と人種差別を訴えた運動だ。当時、ローザ・パークスという女性の活動家がバスに乗った際、白人専用の席で白人に席を譲らなかったため、人種分離法違反で逮捕された。十代の頃、このエピソードを何かで読んだ時、あまりの理不尽さに内容を理解するまで少し時間がかかった。そして、理解はできても、白人でも黒人でもない私はこの理不尽さを「実感」はできていないのではないかと思い悩んだりもした。
しかし、今ならよくわかる。私たちは、あちこちで、女子もしくは女性だからというだけで、能力がない、当てにならない、感情的で理論的ではないと決めつけられるのだ。無教養な男性に。そして、同じような思考回路の女性に。
黒人が白人に席を譲らなければならない理由は一つもない。ただ黒人というだけで席を譲らなければならない理不尽さは、女子だから減点されるのと同じように私の目には映る。
女性の医師の離職の理由に、結婚、出産、育児があげられているが、出産を除けば、男性も経験することだ。結婚するしないは個人の自由だけれど、親となったなら育児は「すべき」ことである。出産は、今の医学では女性しかできないが、そもそも女性が出産をしなければ、男性は世の中に存在できないのだ。当たり前だけれど。出産をしたから離職しなければならないのは、世の中の制度や意識が低いからだ。これも当たり前だけれど。
今、家族が癌の闘病で入院中である。開腹の大きな手術をした。男性の執刀医の他、担当の外科の先生が3人いて、毎日、回診に来てくれる。心細い時期だから、先生と短い会話をするだけで安心する。うち1人が女性。細かい質問でも明解で穏やかに答えてくれる。
考えてみれば、これまでに家族や親族の大きな手術の付き添いを7回ほど経験したが、外科の女性医師は初めてだ。もし仮に、彼女が明日からでも「産休」をとるとしても、私は心から応援したい。