元プロ野球選手の長嶋茂雄さん(82才)が7月中旬に、黄疸の症状が出て緊急入院していたことが明らかになった。緊急治療を施したものの、8月上旬の時点では一進一退を繰り返しているという。
「アンチ巨人はいてもアンチ長嶋はいない」といわれるほど、長嶋さんは誰もが愛した4番バッターで、言わずもがな、野球界を超えた唯一無二のスターだ。その長嶋さんが結婚したのは1965年。長嶋さんは29才、亜希子夫人は22才だった。披露宴はホテルニューオータニ。国民的大スターの結婚に日本中が祝福した。
「亜希子さんは田園調布雙葉学園出身で、出版社の社長令嬢。英語、フランス語をマスターした才女。東京五輪のコンパニオン時代に長嶋さんと出会いました。一目ぼれした長嶋さんは亜希子さんに毎日電話をかけての猛アタック。交際スタートから40日で婚約、約100日後の1965年1月に結婚という超スピード婚だったことも、長嶋さんらしかった」(スポーツ紙ベテラン記者)
結婚生活は順風満帆だった。2男2女に恵まれた。きょうだいのうち、父親の影響を最も受けたのが長男の一茂と次女の三奈だった。
「一茂さんは子供の頃から長嶋さんに連れられて球場を訪れています。長嶋さんが試合に集中していたあまり、一茂さんを後楽園球場に忘れて帰宅したことは有名な話です」(前出・ベテラン記者)
父の影響で野球を始めた一茂は父と同じ立教大学に進み、1987年のドラフトでヤクルトに入団。長嶋さんの監督就任を機にトレードで、1993年に巨人に入団した。現役引退後はタレントやキャスターに転身。三奈もテレビ朝日に入社しスポーツキャスターとして活躍。テレ朝を退社後は、フリーキャスターとして活躍した。
1999年、西武ドームで行われたプロ野球サントリーカップでは、長嶋さんの元へ一茂と三奈が取材で訪れ、長嶋ファミリーが揃ったこともあった。
◆夫人と子供4人で14時間体制
長嶋家は日本中が憧れる“幸せな家族”の象徴だった。
「国民的スターで何をするのにも注目が集まり、“長嶋茂雄を演じるのも大変なんだよ”と本人がこぼしたこともあるほどでしたが、長嶋さんにとって田園調布の自宅と愛する家族は本当に心が休まる存在だったと思います。プロ野球は結果がすべてなので、負けが続くと長嶋さんだけでなく“妻が悪い”“家族のせいだ”と叩かれることもあり、家族も相当なプレッシャーがあったでしょうが、亜希子さんは表に出ずに支え続けていました」(前出・ベテラン記者)