上陸した米軍と、日本軍・沖縄県民が直接対峙した沖縄戦で、ゲリラ戦や諜報活動を担った少年兵ばかりの秘密の部隊があった。戦後、多くを語ることのなかった元少年兵らに取材し、著書にまとめたジャーナリストの宮本雅史氏が、隠された真実を語る。
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「護郷隊」その名を聞いてピンとくる人はほとんどいないだろう。それもそのはず、その存在は沖縄の人にすらあまり知られていなかったのだから。
護郷隊は太平洋戦争末期の昭和19年(1944年)に、沖縄北部で組織された遊撃隊(ゲリラ部隊)である。第一と第二の部隊からなり、総勢約1000名。そのほとんどが15~18歳までの少年兵だった。ゲリラ戦を専門とする少年兵の部隊は日本軍史上類を見ない。
彼らの存在がほとんど知られてこなかったのはその出自による。護郷隊は、大本営陸軍部直轄で、ゲリラ戦、防諜や諜報、宣伝などの特殊任務要員を養成する陸軍中野学校の出身者たちが指揮した秘密部隊だったのだ。
護郷隊が組織されたのは沖縄に置かれた約10万の沖縄守備隊「第三十二軍」の管理下である。大本営は、昭和19年7月のサイパン島の陥落をきっかけに、米軍の北上に備え、パプアニューギニアとフィリピンにゲリラ部隊である「第一遊撃隊」と「第二遊撃隊」を組織した。さらに沖縄戦に備えて故郷を護る部隊として第三遊撃隊(第一護郷隊)、第四遊撃隊(第二護郷隊)を組織した。