『マジンガーZ』『キューティーハニー』『デビルマン』『ハレンチ学園』など数々の代表作を持つ漫画家・永井豪氏。画業50年突破を記念して、「永井GO展」が大阪で開催されることになった(9月8日~9月24日、於:大阪文化館・天保山)。そんな永井氏に、プロインタビュアーの吉田豪氏が、『ハレンチ学園』誕生秘話を聞いた。
──連載開始50周年突破で小学館から『ハレンチ学園』を再刊されるということで、今日は当時のお話を聞かせていただきたいと思います!!
永井:1967年にデビューして、翌年の1968年には『ハレンチ』を描き始めてますからね。で、問題になったのが1969年ぐらいで。
──ものすごいスピード感ですよね。デビューしてすぐに大ヒット作を出し、そしてそれがすぐさま社会問題になるっていう(笑)。
永井:なんか私のいけないところがあったんですかね。自分では普通に描いて、おとなしくやってたつもりでした。(連載していた)『少年ジャンプ』はまだ当時、創刊したばかりで雑誌自体もそんなに高い年齢層じゃなくて、小学校の真ん中辺ぐらいが狙いって聞いてたんで、おとなしくかわいい恋愛ものをやろうってことで。
──もともと編集サイドからは、どういうものを描いてほしいって言われてたんですか?
永井:当時、僕はマカロニウエスタンのパロディみたいな時代劇のギャグ漫画を描いてたんですけども、とにかく現代ものにしてほしいというのが最初の注文で。どんなのがいいんですかねって聞いたら、ちばてつや先生の『ハリスの旋風』みたいな学園ものがいいって言われて。それで、とりあえず「わかりました、じゃあ学園ものでやりましょう」って話しして、すぐ本屋に行って『ハリスの旋風』を立ち読みしまして、あ、こんな感じかって。