音楽誌『BURRN!』編集長の広瀬和生氏は、1970年代からの落語ファンで、ほぼ毎日ナマの高座に接している。広瀬氏の週刊ポスト連載「落語の目利き」より、通常の独演会ではなかなか出会えない立川志の輔の名作『大河への道』が呼び起こす感動について解説する。
* * *
志の輔パルコは数々の名作を生んだが、中で『大河への道』(2011年初演)は2分半のエンディング映像が不可欠なため、通常の独演会で遭遇することはまずない。その『大河への道』に思いがけず出会って感動したのは7月1日、三鷹市公会堂での立川志の輔独演会2席目のことだ。
「初めて日本地図を作った男」伊能忠敬をテーマとする『大河への道』は三重構造の噺だ。まずは忠敬の人生を語る「地噺」パート。50歳で「地球の大きさを知りたい」と天文学者の高橋至時に弟子入りして55歳から日本国中を歩測、73歳で亡くなるまで地球一周分の距離を歩いた忠敬の非凡な人生を志の輔が地で語る。
この30分に及ぶ地噺をマクラに、「地元の偉人を大河ドラマの主役に!」という悲願を掲げた千葉のプロジェクト「伊能忠敬大河ドラマ推進委員会」を描く新作落語へ。委員会から脚本依頼を受けていた脚本家の加藤が最終プレゼンの前日「できませんでした」と推進委員会の主任に詫びる。激高した主任に加藤は「地図完成の3年前に忠敬は亡くなっていた」と指摘、ここから「劇中劇」として江戸が舞台の落語が始まる。主役は至時の倅、景保だ。
忠敬の死を伏せて3年後の1821年、事業を引き継いだ景保は地図を完成させ、江戸城で将軍に拝謁。忠敬の死を打ち明けて日本全図を披露する。将軍は「これが余の国か」と感動し、「伊能、大義であった。余は満足じゃ、ゆっくりと休め」と不在の忠敬に優しく語りかける。