漫画家のさくらももこさんが8月15日、乳がんのため亡くなった。53才だった。
《深い悲しみがまとめて湧いてきた。今、目の前にいる大切な人達とも、いつの日かを境に二度と会えなくなるのだと思うと、悲しすぎると思い、毎晩布団の中でむせび泣く日が続いた。むせび泣きは、一年以上続いていたように思う。》(『おんぶにだっこ』小学館刊)
さくらももこさんは、祖母と近所のおばあちゃんの死に直面した5才の頃を回想し、そう綴った。
日常の中にある子供の瑞々しい感覚を、絶妙なタッチで描き出した国民的漫画『ちびまる子ちゃん』。テレビアニメとしては28年間も放送が続いている。主人公・まる子のモデルはさくらさん自身だという。怠け者で、お調子者だが、子供らしい鋭い感受性を持った女の子だった。
「さくらさんの乳がんの闘病はもう10年近くになるはずです。40代半ばでのがん発覚後も治療を続けながら仕事のペースは落ちず、以前と変わらず穏やかな笑いのある漫画を描き続けていました。しかし、近しい人以外にはがん闘病のことは一切明かさず、病気と向き合っていました。感性の塊のような人なので、孤独の中にさまざまな葛藤があったと思います」(さくらさんの知人)
病気が発覚したすぐ後に、東日本大震災(2011年3月11日)が起きた。さくらさんは、直後は作品中では触れるべきではないと考えたが、震災1週間後、まる子が花畑の中で涙を浮かべながら「きっと大丈夫だよね。日本も」と語る内容の4コマ漫画を新聞に描いた。その後2週間、新聞の連載を休んだ。さくらさんはその時期が本当につらかったと振り返っている。
優しく穏やかで明るい日常を描き続ける一方で、その繊細な感性で「死」とも向き合い続けていた。
「病状はずっと膠着状態でしたが、この夏前になって、急激に悪化したそうです」(前出・知人)
東京都心にある自宅からすぐ近くにある総合病院に通って治療を続けていたようだ。奇しくも、そこは、乳がん闘病の末に昨年、命を落とした元アナウンサーの小林麻央さん(享年34)もがん発覚直後に通っていた病院だった。
「最期は、静岡から上京して都内の自宅で一緒に暮らしていたご両親や20代半ばになった息子さんらに看取られたそうです」(前出・知人)
※女性セブン2018年9月13日号