失われた○年、という言い方がある。このまま日本は「30年」を失うことになるとする論調も増えてきた。コラムニストの石原壮一郎氏が「平成最後の9月」と「平成最初の9月」を比較した。
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「政党の都合より国のこと考えよ」(無職、66歳、男性)
「標準語、公用文は“ら”ありで」(主婦、61歳、女性)
「社会に全く目を向けぬ学生たち」(学生、19歳、男性)
「妊婦の甘えた意識こそ問題」(主婦、49歳、女性)
「高齢化社会のビジョン示せ」(無職、76歳、男性)
新聞の投書欄から、いくつかのタイトルを拾ってみました。最近の新聞ではありません。今から30年前、平成元年9月の朝日新聞と毎日新聞の投書欄です。
平成最後の9月が始まりました。政治方面では自民党総裁選の話題が盛り上がり、スポーツ界では女子体操の「パワハラ問題」が注目を集めています。私たちはいつも、さまざまなニュースに触れることで、いろんな意見や怒りを抱かずにはいられません。平成最初の9月、世間はどんな問題に関心を持ち、どんなことに怒っていたのか。だんだん残り少なくなっていく平成を惜しむ意味を込めつつ、30年前を振り返ってみましょう。
平成元年9月とえいば、バブル真っ只中。海部俊樹氏が総理大臣になったばかりで、増え続ける偽装難民や消費税廃止論議、礼宮さま(現・秋篠宮文仁親王)と紀子さんの婚約などが話題になっていました。株価が上がり続ける中、マネー記事では株式やマンションなどへの積極的な投資を煽っています。まんまと背中を押された人は、そのあとどうなったのか……。諸行無常です。
この月に朝日新聞が投書欄で力を入れていたテーマは「子を持たぬ生き方」。自分は子どもを持ちたくないという若い女性の投書に対して、「結論出さずに素直に生きて」(会社員、30歳、女性)とやさしく寄り添う意見もあれば、「現実から逃避としか思えぬ」(無職、71歳、男性)と厳しい口調で非難する意見もあります。30年後の今も、その後広まった「少子化」というキーワードは加わりそうですけど、たぶん似た議論になるでしょう。
毎日新聞のこの月の投書欄は「敬老」というテーマに力を入れています。「友情と生き甲斐に恵まれて」(無職、80歳、女性)といった意見は、現在でも30年後でも違和感はないでしょう。「金余りが生み出した地価高騰のあおりで、永年住み慣れた借家を追い出される低所得の老齢者家族が多い」という問題提起は、この時代ならではという気もするし、前半の原因の部分は変われどいつの時代もありそうな気もします。ちなみにこの頃は「人生八十年時代」という言葉が、ちょっと流行していました。
最初にあげた「政党の都合より国のこと考えよ」という投書には、こんな一節があります。「今は大臣ゲームをやっているみたいに映って仕方ない。政党の都合などどうでもよいので、真剣に国のことを考えるべきであろう。世相は、かつて何回か起きた恐ろしい大事件が起きても不思議ではないような土壌ができつつあるような不吉な予感がする」
仮に今このまま投書に書いても、十分な説得力を持つフレーズです。政党の都合しか考えないのは、いつの時代も変わらない政治家の本能なのでしょうか。そして、そのことに憤って半ば無駄とわかりつつ批判するのも、有権者の本能なのかもしれません。