1960年に女性70歳、男性65歳だった平均寿命が、今では女性が87.26歳、男性が81.09歳になった。敬老の日の過ごし方も、昔のようにはいかないらしい。ライターの森鷹久氏が、敬老の日をめぐる混乱と、それに振り回された人々の様子をレポートする。
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「何がめでたいんだよ、バカにするのもいい加減にしてくれんか!」
千葉県某市の高齢者福祉施設に、入居者の女性・Aさん(99歳)の精いっぱいの怒声が力なく響き渡る。敬老の日を一週間後に控えたその日、施設の責任者がこのAさんの他に二人の入居者とその家族を呼び寄せて、とある「説明」を行っていたのだが、事態は予期せぬ方向に動いた。
「Aさんは今年100歳、他の二人も同様で、市の担当者が敬老の日に100歳のお祝いをしたいといって来られたんです。慶事だし、ご家族も納得されていたようですが、Aさんが急に怒り出したんです。施設にはテレビの取材も入るかもしれないということで、私どもはその日を楽しみにしていたのですが…。結局、Aさんに流されるように他お二人の家族からも“遠慮します”と言われて…」(施設責任者の男性)
「敬老の日」と言えば、文字通り「老人を敬う日」だと考えていたのは筆者だけではないはずだ。子供のころ、敬老の日には祖父母に何かプレゼントをしてみたり(それは肩叩き券、のような類のものではあったが…)、中高生になれば敬老の日の前後にクラスや部活動のメンバーなどで老人施設を訪れては、入居者と交流させてもらったりした。それらが概ね「おじいちゃんおばあちゃん長生きしてね」というニュアンスの元に行われていたことは疑うまでもない。
今日ではどうだろうか。敬老の日当日、ほとんどのニュースでは「日本の高齢化がさらに進んだ」「70歳以上が人口の20パーセントを超えた」としか報じられず「長生きしてね」といったニュアンスが薄まっていることがわかる。敬老の日は「祝日」であり、おめでたい日であったにもかかわらず、だ。高齢化が進んだ、70歳以上が人口の多くを占めるようになった…に続く言葉はニュースの中で語られないが、その先には悲観的な言葉しかないこともまた、今や国民の多くが理解していることかもしれない。
前出のAさんの怒りは、そうした国民感情を理解していたからこそ、自身が家族にとって「重荷になっている」と認識していたからこそに飛び出た叫びなのか。施設の介護士は、目に涙を浮かべながらAさんへの思いを吐露する。
「Aさんは八十代後半から施設にいらっしゃいますが、最近では一人で食事を摂ることもできないほど。以前はご家族の方も頻繁においででしたが、この数年は誰もいらっしゃいません。冷たい家族、ということではなく、ご家族も高齢なんですね。Aさん、決して気難しいとかわがままを言う方ではないのですが、生きていてもしょうがない、なぜ殺してくれないのか、と最近は本当に落ち込んでいらして…。敬老の日、百寿のお祝いのお話をした時も”本当は誰も祝っていないんじゃないか”とこぼされていたんです。
実は以前、施設長がAさんに施設を変わってくれと打診したことがあり“追い出すんですか”とトラブルになっていましたから、都合のいい時だけ担いで…というお気持ちだったんでしょう」(施設の介護士)
ところ変わって、東京都内のデイサービス施設でも、敬老の日の会合が行われていた。敬老の日は祝日でデイサービスが休みの為、慰問は平日に前倒しで行われていたというが…。
「お祝い会を行おうということで、入居者のご家族にもお電話やはがきでお知らせしたのですが…。みなさんお忙しいのか、ほとんど来られなかったですね」