月亭八方が落語の門を叩いたのは1968年、20歳のときだった。半世紀の時が流れ、9月1日、三越劇場で開かれた芸能生活50周年記念の「落語誘笑会」では、師匠の故・月亭可朝譲りの古典落語「野ざらし」を披露。ひとたび高座に上がると、どこか艶っぽい言葉や仕草に、ぐいと噺に引き込まれていく。最後、絶妙なタイミングでオチが決まると客席はどっと沸いた。落語家としての軌跡をこう振り返る。
「アッという間とよく言うけれど、決してそうではないですね。山あり、谷あり、希望あり。まあゆうてみたら、よく経ちましたなという感じ。人間って、楽しいことよりも辛いことを覚えているけど、その辛さが成長の糧になる。そうやってここまで来ました」
大阪梅田からほど近い下町の長屋生まれ。野球好きの少年は、中学を卒業すると甲子園を目指し、野球の名門・浪商(現・大体大浪商)に進学する。
「野球部では全国から集まってきたすごいヤツらを目の当たりにして、上には上がいることを知って、“これはあかん”と思った。頑張って追い抜こうという気にならんかったです」
野球部を辞めて熱中したのが、古典落語だった。友人に誘われたのをきっかけに、うめだ花月やなんば花月の寄席に足繁く通った。特に惹かれたのは、後に人間国宝となる三代目桂米朝の古典落語である。高校卒業後にいったん就職するも、落語家を志す。