2000年代の格闘技ブームが去った今、大会こそ続いているものの、その情報を地上波のテレビ放送で目にする機会は激減した。それでも、うっすら格闘技関連の情報は入ってくるものだ。9月30日に行われる格闘技イベントRIZINには、先日、亡くなった山本KID徳郁の姉・美憂が出場するが、それだけでなく、KIDの内弟子で、昨年までUFCで活躍した堀口恭司と、キックボクシング史上最高の天才と呼ばれる20歳の那須川天心が対戦する。彼らの情報は、実はYouTubeに「番組」として存在していた。イラストレーターでコラムニストのヨシムラヒロム氏が、かつての興奮を呼び覚ましてくれるRIZINドキュメンタリー『RIZIN CONFESSIONS』について考えた。
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9月18日、山本“KID”徳郁が胃がんにより亡くなった。享年41歳。その衝撃は凄まじく、カリスマ格闘家の死は日本中を悲しみに染めた。
今年32歳となった僕は、歳を重ねるごとに格闘技の盛り上がりを体験した世代である。小学生の頃にK-1の隆盛、中学生の時に桜庭和志VSホイス・グレイシー、高校時代に格闘技の盛り上がりは頂点を迎えた。
総合格闘技も熱かったが、それ以上に人気を集めていたのが「K-1 WORLD MAX」。エースの魔裟斗を筆頭にスタイリッシュなイケメン格闘家が躍進。そんな渦中に行われた「K-1 WORLD MAX 2004~日本代表決定トーナメント~」にて、突如現れたのがKIDだった。「俺は格闘技の神様の子」と自信満々に語る姿に、主に地上波のテレビで情報を得ていた当時の僕は頓馬さすら感じたものである。
トーナメント1回戦、KIDの対戦相手は過去に魔裟斗と激闘を繰り広げた村浜武洋。ファンの多くが村浜の勝利を予想したことだろう。だが、試合が始まって驚愕、予想を裏切るワンサイドゲーム。今までの日本人ファイターとは全く異なる野性的なスタイルでKIDは村浜を圧倒した。
勢いそのまま2004年の大晦日には、立ち技日本人最強と称される魔裟斗と対戦。判定で負けたものの山本“KID”徳郁の名は、一夜で名前は全国区となった。以降、KIDはK-1から元来のフィールドである総合格闘技へと活躍の場を戻し、連戦連勝。「神の子」なるニックネームが(笑)とならないスーパースターになったのである。
選手や団体の物語によって紡がれてきた日本のプロレス史。その影響下にある日本の格闘技は、試合内容とともに選手の物語性も求められる。
KIDの父親はレスリング・グレコローマン日本代表だった山本郁榮。姉、妹共にレスリング世界選手権のチャンピオンだ。格闘家一族という壮大な背景がKIDあった。また、その戦いのD.N.Aを辿っていけばKIDからプロレスの父・力道山まで行き着くから面白い。
力道山の弟子がアントニオ猪木、猪木の弟子が佐山サトル。タイガーマスクの仮面を脱いだ佐山が活躍した団体が『UWF』、その戦いを見て格闘技を始めたのが“日本柔術界の父”中井祐樹。若手時代の中井の練習仲間がエンセン井上。井上の元妻がKIDの姉の山本美憂。KIDを総合格闘技への道に誘ったのが井上。
格闘技ファンは、このような系図を脳内で仕上げていくことに恍惚を覚える。そして9月30日、この系図の一番下にいるKIDの愛弟子・堀口恭司が大一番を迎える。「キックボクシング史上最高の天才」と称される若干20歳の那須川天心と戦うのだ。