認知症の母(83才)の介護をすることになった54才の娘・N記者(54才)。妄想や同じことを繰り返す母に対して、否定するのはNGとわかりつつも難しいと語る。
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6年前、母は父の急死を機に検査で認知症と診断され、私は母が治療やプロのケアを受けられる環境を整えた。
それはよかったのだが、母と私の関係に“認知症患者と介護者”という新たな側面が加わり、それが自分でも思いがけない負担になっていた。
「アルツハイマー型認知症は、記憶障害が典型的な症状。だから、間違っていると責めたり、矛盾を追及したりしてはダメですよ」と、ケアマネジャーからは口を酸っぱくして言われたし、どの認知症の本を読んでも、同じことが書かれていた。それでも本人を前にすると、頭での理解など何の役にも立たなかった。
ある日「さっきね、団地にいた頃のお友達が遊びに来たのよ」と、母が電話してきた。
さっき…? いや、今日はデイサービスだったはず。
「そんなはずないよ。今日はデイサービスだったでしょ?」
「…じゃあ、デイサービスの後かしら? それでね、お金がなくてお茶菓子も買えなかったの。恥かいちゃった! 私のお金はどこへやったの!」
絵に描いたような“取り繕いと物盗られ妄想”だ。私は一気に頭に血が上った。
「私がママのお金を盗るわけないじゃない! ちょっと考えればわかることでしょ!?」
ひどいセリフを吐きながら、頭の片隅ではケアマネジャーの「否定しちゃダメよ!」という声も聞こえていた。
認知症でも母は母だ。今日はデイサービスに行って、帰って来て不安になり、電話をしてきたのだ。そんな、目に見える現実を母と共有したかった。私がお金を盗っていないと認めてほしかった。「へえ、そうなんだ~。お友達に会えてよかったね」などと、心にもない返事をするのは、母への裏切りのように思えた。
「この世で2人だけの母娘なのに、私までウソをついたら誰が母の味方になるのだ」という思いが拭えなかった。
しかし、私が心を整理できずに葛藤しているうちに、母の妄想や混乱はどんどんひどくなっていった。
母の話に合わせればすむものを、それができずに悶々とすること1年あまりが経った。われながら厄介な性格である。
4年前にサ高住に転居し、ヘルパーさんなど、介護のプロに囲まれて生活するようになると、母の妄想や混乱はめきめきと改善した。
眺めていると、やはりヘルパーさんたちは“否定せずに”対応してくれているのだ。
「そうなんですか~。さすがMさん(母)、気配りができてるわ~。見習わなきゃ!」などと、母の長所を見つけて褒め言葉もプラスしてくれる。母は明らかに幸せそうだ。わかってはいたが、やはりこれが正解。情けないが私もヘルパーさんを見習って、「そうなんだ、よかったね」とやっと言えるようになった。
私としては何となく心がないように感じるが、母は嬉しそうだ。そして会話はどんどん弾む。今ではますます上手に対応できるようになったが、やはり胸はチクリと痛む。でもそこは、私が大人になろうと思っている。
※女性セブン2018年10月11日号