差別をめぐる世論の盛り上がり方が、最近、なんだかおかしい。ネットニュース編集者の中川淳一郎氏が休刊を発表した「新潮45」への猛抗議を振り返り、寸止めなき世界について考えた。
* * *
「LGBTは生産性がない」という自民党の杉田水脈衆議院議員の主張を掲載した「新潮45」8月号への猛批判が吹き荒れ、全国各地で抗議デモが行なわれた。同誌は10月号で『そんなにおかしいか「杉田水脈」論文』という特集を展開し、7人の論者が寄稿した。その中には、文芸評論家・小川榮太郎氏によるLGBTを尊重するのであれば痴漢も尊重すべし、といった先鋭的すぎ、かつ珍妙な主張もあったため、再び大バッシングとなった。それを受け同誌は休刊を発表。新潮社前での抗議デモ当日の決定だった。
杉田氏の主張は事実誤認も含んだダメ文章ではあったが、その後のバッシングはすさまじきものになっていった。本人が一切謝罪をしないのだから叩き続けるしかない、とばかりに反安倍政権派も巻き込んで活動家・リベラルメディアが共闘し、掲載した新潮社の責任問題を追及する声が相次いだ。
いやぁ……。これで問題解決するの? 暴論を吐く者がいるのは世の常であるし、そこに対してその者を叩くのはまぁ、アリだろう。だからこそ新潮社に対するデモも行なわれたが、「気に入らない発言をする者は社会的に抹殺すべきである」的状況にもなったというのは実に恐ろしい。
杉田氏の主張にも小川氏の主張にも私は一切共感はできない。ただ、その文章をもって掲載をした新潮社を叩き、すべてを許さないという論陣を張るのはいかがかとも思うのである。「寸止め」の概念はないのか。