女優・樹木希林さん(享年75)の告別式が9月30日、東京・光林寺で開かれた。喪主である夫・内田裕也(78才)は、車椅子に乗って参列したが、この日、一言も発することはなかった。そして、喪主に代わって挨拶をしたのが、娘の内田也哉子(42才)だった。ここでは、也哉子の喪主代理挨拶を全文掲載する──。
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本日は足元の悪い中、大変お忙しい中、母・内田啓子の本葬儀にご参列いただきまして、誠にありがとうございます。私にとって母を語るのに、父・内田裕也をなくしては語れません。本来なら、このような場で語ることではないのかもしれませんが、思えば、内田家は数少ない互いへのメッセージ発信をいつも大勢のかたがたの承認のもとに行っていた“奇妙な家族”でした。また生前母は、恥ずかしいことこそ人前でさらけ出すというやっかいな性分だったので、皆様が困らない程度に少しお話しさせてください。
私が結婚するまでの19年間、うちは母と私の2人きりの家庭でした。そこにまるで、象徴としてのみ君臨する父でしたが、何をするにも私たちにとって大きな存在だったことは確かです。
幼かった私は不在の父の重すぎる存在に、押しつぶされそうになることもありました。ところが困った私が、なぜこういう関係を続けるのかと母を問い詰めると、平然と、“だってお父さんにはひとかけら、純なものがあるから”と私を黙らせるのです。自分の親とはいえ、人それぞれの選択があると頭ではわかりつつも、やはり私の中では永遠にわかりようもないミステリーでした。
ほんの数日前、母の書庫で探しものをしていると、小さなアルバムを見つけました。母の友人や、私が子供の頃に外国から送った手紙が丁寧に貼られたページをめくると、ロンドンのホテルの色あせた便せんに目が留まりました。それは母がまだ悠木千帆と名乗っていた頃に、父から届いたエアメールです。
《今度は千帆と一緒に来たいです。結婚1周年は帰ってから二人きりで。蔵王とロサンゼルスというのも、世界中にあまりない記念日です。この1年、いろいろ迷惑をかけて反省しています。裕也に経済力があれば、もっとトラブルも少なくなるでしょう。俺の夢とギャンブルで高価な代償を払わせていることはよく自覚しています。突き詰めて考えると、自分自身の矛盾に大きくぶつかるのです。ロックをビジネスとして考えなければならないときが来たのでしょうか。最近、ことわざが自分に当てはまるような気がしてならないのです。早くジレンマの回答が得られるように祈ってください。落ち着きと、ずるさの共存にならないようにも。
メシ、この野郎、てめぇ、でも、本当に心から愛しています。
1974年10月19日 ロンドンにて 裕也》