高齢化社会の中で大きな問題となっているのが孤独死だ。38才会社員の女性Aさんは、失踪していた母が孤独死を迎えたという。亡くなった母が遺していたものは何だったのか──。Aさんが、孤独死の裏側を告白する。
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「母親に会わせてやる」
そう父から連絡があったのは、私が30才の時のことです。
母は24才で私を産むと、その3年後に失踪。理由や居場所を父に何度も聞きましたが、そのたびに、顔が腫れ鼓膜が破れるほど殴られ、決して教えてはくれませんでした。
自動車会社でエンジニアをしていた父は私に無関心で、私は、父方の祖母の家で育てられました。祖母はしつけと成績に厳しく、少しでも粗相をしたり、成績が下がると、「あの女の血筋だからね」と、私をさげすみました。そのたびに私は、母の面影を思って泣きました。顔も覚えていませんが、記憶の中の母は、とてもやさしかったんです。
大学卒業後は上京し、実家とは縁を切りました。しかし突然の父からの電話には、心が揺さぶられました。
新大阪駅で待ち合わせ、地下鉄に乗って西成の古いアパートに連れていかれました。そこは、数日前に母親が孤独死した部屋だったのです。
母は、結婚してからも浮気を繰り返し、父のお金を盗んで若い男と家出をしたのだそうです。そう言われても、私は実感がわきません。ふと、引き出しを開けると、私名義の通帳がありました。見ると、3000円が入っていました。ほかにも、私が赤ん坊の時に使っていたりんご柄のよだれかけと写真も…。
子を捨てた母は、“最低な母親”です。でも、決して私を憎んで捨てたわけではない。たまに思い出してくれていたのではないでしょうか。
「馬鹿な女だ」
そう言って、背中を震わす父もまた、本心では母を憎み切れなかったのだとわかりました。思えば今も父は、独身を貫いています。もしかしたら、母が最後の罪滅ぼしにと、私と父を仲直りさせてくれたのでは…。都合がいいかもしれませんが、私はそう解釈しました。そう思うことで、長年の父へのわだかまりが少しとけた気がします。
※女性セブン2018年10月18日号