今年5月に急性心不全のため亡くなった西城秀樹さん(享年63)の“最期までの3週間”が、初めて明らかになった。妻・木本美紀さんが11月14日に発売される著書『蒼い空へ 夫・西城秀樹との18年』(小学館)で明かしたもの。同書は、美紀さんが、秀樹さんにかわってお世話になった人に感謝の気持ちを伝えたい、同じ病気と闘ったりリハビリを続けている人と家族に少しでも参考になることを届けたい、との思いで筆をとったものだという。
「もう一度、『YOUNG MAN』を完全に歌って踊りたい」――。
秀樹さんはその強い思いで、必死に病と闘っていた。同書には、2011年に患った脳梗塞の後遺症で右半身の自由がきかなくなった秀樹さんが、完全復活に向けて過酷なリハビリリトレーニングに励む姿が描かれている。リハビリ専門のジムに通い、1回3時間のトレーニングを週3~5日、時間が許す限り休むことなく行っていたという。
《例えば、段差を下りたり、上ったりを何度も何度も繰り返します。さらに、先生に手を持ってもらって、立って座る、立って座る……。この繰り返しは、お尻の脂肪の少ない秀樹さんにとっては、尾てい骨が椅子に擦れて、痛そうでした。でもその日の課題をクリアするまで、音を上げません》(『蒼い空へ 夫・西城秀樹との18年』より・以下《》は同)
「ファンの皆様に元気な姿を見せたい」という秀樹さんの強い思いの中、ジムに子供たちが顔を出すこともあり、そんなとき、秀樹さんは俄然張り切ってトレーニングを行っていた。そうした家族の支えと、熱心なリハビリのかいがあって、今年4月には毎年恒例の「同窓会コンサート」で元気なステージを披露するほど回復していた。
そんな秀樹さんに異変があったのが、そのコンサートから11日後のことだった。同書によれば、家族で夕食を食べ終わってくつろいでいると、秀樹さんの体調が急変。その後、到着した救急車で病院に運ばれた。そこで美紀さんは医師からこう告げられたという。
「……心臓が動くのはあと4日。もって1週間だと思ってください」
美紀さんは“宣告”を受けた時のことをこう振り返っている。
《それからどうやって家までたどり着いたか、この後の記憶が今も全くありません》
意識が戻ることはないとも医師は言ったが、家族は秀樹さんの“最後の闘い”を支え続けた。子供たちは、学校が終わると病室にやって来て、秀樹さんに話しかけたり、秀樹さんのヒット曲メドレーをスマホで流したりもしたという
秀樹さんが亡くなったのは、5月16日のことだった。医師からは「4日しかもたない」と言われていたが、懸命に生き抜いた日数は22日間に及んだ。同書には、秀樹さんが“最期までの3週間”を病室で家族と過ごした日々、そして、秀樹さんが起こした“小さな奇跡”などについても詳しく綴られている。