日本には「伝統」がある──。こんな定説を私たちは信じがちだが、私たちが「伝統」と信じているものの中には歴史の浅いものが結構含まれている。
「元来、日本の喪服は白系が基調。平安時代に支配者層で黒系が広まった時もありますが、室町時代には宮中を除いて再び白が基本に。江戸時代までは庶民も含めて白喪服でした」(宗教・歴史ライターの古川順弘氏)
7世紀の中国の史書『隋書』「倭国伝」にも「白布で喪服を製する」と書かれているという。
地域にもよるが、日本では明治までの喪服は白が中心で、会葬者も死者と同じく白装束、和装の白喪服(白無垢)を着て参列していた。
「喪服が黒に変わる契機となったのは、明治時代の政府首脳の国葬で、政府が会葬者に対し、洋風の礼装の着用や、黒ネクタイや黒手袋の着用、帽子や佩剣に黒布を巻くことなどを通達したことからです。また、明治30年の英照皇太后の大喪では、全国民が30日間、喪に服す際に、政府が国民に喪服心得を示し、黒喪章の着用を指示しました」(前出・古川氏)
これにより、黒が喪色として一般に認識された。さらに西洋化の影響も加わり、日本古来の白喪服が減って、黒喪服が国民全般へと広まっていった。
※SAPIO2018年9・10月号