陛下は多くを語られない。その発言は非常に重く、また、制約も多い。その代わり、年を重ねてますます活発に「旅」に出かけられる──。
歴史探訪家で文筆家の竹内正浩さんが、『旅する天皇 平成30年間の旅の記録と秘話』(小学館)を上梓した。「旅する天皇」の名場面の一つとしてあげられるのが平成6年の小笠原諸島ご訪問だ。当時の様子を竹内さんとともに振り返る。
■平成6年(1994年)2月12~14日 小笠原諸島
1994年6月に予定されていた初訪米を前に、両陛下が強く希望された訪問地があった。
小笠原諸島に属する無人島の硫黄島だ。太平洋戦争の激戦地で、日米合わせて2万7000人が戦死したとされる。
1994年2月、輸送機とヘリコプターの長旅で硫黄島を訪れた両陛下は、灼熱と水不足で苦しんだ将兵を慮り、柄杓で水をくみ慰霊碑に献水された。
念願の硫黄島訪問後、陛下は次の御製を詠まれた。
〈精魂を込め戦ひし未だ地下に眠りて島は悲しき〉
美智子さまの御歌はこうだ。
〈銀ネムの木木茂りゐるこの島に五十年眠るみ魂かなしき〉
共通するのは、トメの「かなしき」というフレーズ。
「硫黄島の戦いで日本軍司令官だった栗林忠道中将の辞世の句『国の為重きつとめを果し得で 矢弾尽き果て散るぞ悲しき』を踏まえたものと考えられます。天皇陛下の深い御心が偲ばれます」(竹内さん)
その後の長き平成時代の「慰霊の旅」の原点となった旅であり、美智子さまにとっては「再生の旅」でもあった。
「1993年に御所で倒れ、『心因性の失語状態』になった美智子さまが声を取り戻すきっかけは硫黄島訪問でした。翌日に訪れた小笠原諸島の父島で、アオウミガメを放流する地元の子供たちに、『次の波が来るとカメは海に帰るのね』と声をかけられました」(竹内さん)
※女性セブン2018年11月8日号