アイドルは卒業しなければならないのか──。ティーンエイジの頃にデビューし、20代になれば『アイドルからの脱皮』が盛んに求められる。アイドルという職業は期間限定のものなのだろうか。
そんな世間が持つアイドルのイメージに抗い続けている男がいる。1980年にデビューし、瞬く間にトップアイドルの座へと駆け上がった田原俊彦(57)である。『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記1979-2018』(青弓社)の著者で芸能研究家の岡野誠氏が、田原俊彦のこれまでの発言を紐解きながら、“アイドルとは何か”について考察する。
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「自分しか信じていません……。信じられるのは自分と、負けないぞという気持ち」
10月14日、静岡・浜北文化センターでのコンサートで、田原俊彦(57)は静かにこう話した。
田原俊彦──。1980年6月21日に『哀愁でいと』でデビューした彼は瞬く間にトップアイドルに駆け上がり、全国の若い女性を虜にした。
コンサート会場のみならず、公開収録の『ザ・トップテン』(日本テレビ系)や各局の音楽祭に登場すると、耳をつんざくような大歓声に包まれた。
一方で、こんな人気がいつまでも続くはずがないと周囲も田原自身も思っていた。1993年10月11日放送の『徹子の部屋』(テレビ朝日系) で、デビュー時から知る黒柳徹子を相手にこう語っている。
〈田原:僕だって、(デビューの)あの時は10年持つと思わなかったし。
徹子:見ていた人だってそう思っていたでしょうね。
田原:僕以上に思っていたでしょうね。〉
アイドル出身ゆえか、周囲の評価は移ろいやすかった。
1984年、チェッカーズや吉川晃司などの新星が出現。アイドルとしての鮮度が落ち始めてきた頃、こう話している。
〈この世界って冷たいからね。やっぱり、売れてるうちはみんなシッポ振って来るけど、売れなくなったら知らんぷりだから。そりゃそうなんだけどさ、仕事にならないんだから。そのへんは勝負だもん〉(『CanCam』1985年5月号)
だからこそ、自分を信じる以外なかったのだ。