『有馬屋酒店』の角打ちの歴史は、昭和4年の創業と同時に始まった。戦争による中断はあったが、来年で90年、人の歴史で言えば長寿の祝いのひとつ卒寿(そつじゅ)を迎えるわけで、“筋金入りの角打ちの店”と呼ぶ常連客もいる。
「創業した父の時代は、店の中でコップ酒。当時の角打ちは、それが普通のスタイルだったのよね。平成の今は店の右脇に“酒処”と名づけた角打ちスペースを作りまして、そこでゆっくり飲んでもらうようにしています」(2代目女将・黒野裕子さん)
途中、2代目主人の急逝で、長男の達也さん(51歳)が3代目を継いだ。築地で働いていた次男が帰宅後に、店頭に構えた屋台で腕を振るった焼き鳥のうまさが評判を呼んだ。
こういった時の流れを経て、裕子女将が語る現在の形になったのが7年前。達也さんが酒屋部門にかかりきりとなったことから、女将の実の妹、飯塚よし子さんが“酒処”を担当することになった。
カウンターの向こうにいて迎えてくれる彼女の笑顔は、すぐに常連客の心をつかみ、“ママ”あるいは“よっちゃん”と呼ばれて慕われる存在に。
「もともと自分にピッタリくる大好きな店だったから、20年以上前から通っていたわけですよ。でもね、ママさんが来てから、店の雰囲気も酒のうまさも、それまで以上に良くなったんじゃないかなあ。以前の店にはなんの不満もなかったし、楽しい思い出ばっかり残ってる。だけど今のこの店で角打ちしちゃったら戻りたくないね。そう思うのは俺だけじゃないだろ。(笑い)」(50代、製造業)
主のような常連がいる前でしゃべりにくいなあと笑いつつ、どう見ても主のような雰囲気を持つ60代氏が、のどを潤しながら一言。
「仲間から紹介されて、初めて来てからまだ4か月なんだけどね。ママのあったかさと酒の安さとうまさで、離れられなくなってしまった。早い時間にちょっと飲みに来て、閉まる頃に寝酒のためにもう一度顔を出す。そんな毎日を続けているんだ。もちろん、仕事もしっかりやってるよ。私だけじゃなくて、ここで知り合ったのは、みんな真面目に働いてる人ばっかりだしね」(60代、建設業)