「“え、自分でいいんですか”というのが、まず最初で」と笑顔で語ったのは俳優の真田広之(58才)。このたび、秋の紫綬褒章を受章した。その真田の秘話について、コラムニストのペリー荻野さんが綴る。
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学術研究や芸術文化の分野で活躍した人に贈られる紫綬褒章に小説家の林真理子、将棋の羽生善治、劇作家のケラリーノ・サンドロヴィッチ(KERA)らとともに今年、俳優の真田広之が選ばれた。ヒゲがあろうが、眼鏡をかけていようが、ずっと「若手」のような印象を持っていたが、いまや真田は堂々のベテラン俳優なのだと改めて気づかされた思いである。
1980年代には、映画『里見八犬伝』やドラマ『影の軍団』シリーズで山野を駆け抜け、木につるされ、水に飛び込むのも当たり前。平地にいたためしがないアクションスターとして活躍、1990年代には、NHK大河ドラマ『太平記』に足利尊氏役で主演、ドラマ『高校教師』では教え子との純愛に殉じて(?)話題となった。私も取材経験があるが、その第一印象は「めちゃくちゃ色気がある」俳優だった。色気といっても、自らアピールするとか語るわけではなく、そこはかとなく漂うもの。かつて『anan』の「好きな男」の第1位になったというのも納得である。
しかも、私はその手の甲に小さな傷をいくつか見つけたのである。そのとき、真田は『新・半七捕物帳』というNHK時代劇に主演、十手をもって戦うシーンを撮影していたのだった。短い十手で、長い刀を持つ侍と戦ったりするのは、とても不利だし、難しい。もちろん、長年のキャリアがある真田は、ある程度距離を置き、刀を避けてリアルに戦っているように見せる技術はあるのだが、あえてそれをせず、自分の手にあたるくらい近づいて戦ったのだ。
ちなみにこのドラマの主題歌は奥田民生。現代の東京に「半七」姿の真田が立つモノクロの写真が連続するタイトルはとてもカッコいい。紫綬褒章記念にぜひ、再放送してもらいたいものである。
そんな中、やっぱり真田の受賞を一番喜んでいるのは、京都の時代劇関係者だろう。ご本人も受賞の言葉の中で自分のキャリアを「子役時代から」と語っていたが、真田は子役であった。時代劇にも縁が深く、かの『水戸黄門』にも出演している。そのときの共演者は渡哲也だった。それから50年近くたった今でも京都の撮影所には真田が「ひろくん」と呼ばれていた頃を知るスタッフがいて、その活躍を心から応援している。多くの子役で出入りする現場でも「ひろくん」は、当時から人気者だったのである。
会見の中では、日本のよさを伝える作品のプロデューサーとしての仕事をしたいと語っていた。後輩たちが世界的に活躍できるよう力にもなりたいという。英語圏の仕事に飛び込み、キャリアを積んだ「国際派俳優」らしい言葉だ。しかし、それではますます日本での俳優業が遠のくのではないかと心配もしたくなる。
受賞も素晴らしいし、プロデュースも期待したいが、日本各地の採石場のような荒野を元気よく馬で駆け回ったり、落ち葉の中から突然姿を現す忍者と格闘する真田もまた見たい。もう一度、愛に殉じてくれてもいい。たまには「国内派俳優」にも戻ってほしいものだ。