音楽誌『BURRN!』編集長の広瀬和生氏は、1970年代からの落語ファンで、ほぼ毎日ナマの高座に接している。広瀬氏の週刊ポスト連載「落語の目利き」より、当たり前の噺を普通に楽しく聴かせる柳亭市馬の「落語の上手さ」についてお届けする。
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落語協会会長、柳亭市馬。当たり前の噺を普通に演って楽しく聴かせる「落語の上手さ」では今、この人の右に出る者はいないだろう。
10月9日、市馬の定例独演会「市馬落語集」(国立演芸場)に出掛けた。最近だと9月15日の「よってたかって秋らくご」(よみうりホール)で市馬の『らくだ』を、10月3日の「市馬・一之輔二人会」(深川江戸資料館)では『たらちね』『御神酒徳利』を聴いたが、独演会は8月27日の麻布区民ホール(演目は『淀五郎』『お化け長屋』)以来だ。
元横綱・輪島が亡くなったのはこの前日のこと。1席目の高座に上がった市馬はマクラで「少し前に北の富士と対談して……」と語り始め、輪島の訃報や元貴乃花親方の騒動などに触れた後、得意の相撲甚句を披露。そして入っていった落語は相撲が題材の『阿武松』だった。
力士になろうと能登の国から江戸に出て武隈に弟子入りした若者が、度外れた大飯食らいを理由に破門され、腹いっぱい食べて死のうと泊まった宿屋で主人に諭され錣山に再入門。めきめき頭角を現わし、小柳の名で入幕すると「まんまの仇」武隈に圧勝、これを観た長州公のお抱え力士「阿武松」となり、六代横綱に出世した……これが人情噺『阿武松』。ちなみに能登、すなわち石川県は輪島の出身地でもあり、「阿武松」「錣山」は旧貴乃花一門関連の親方の名としてニュースに度々登場する。この日『阿武松』を演じたのはそうした連想ゆえかもしれない。市馬らしい風格のある『阿武松』だった。