1980年代前半、各メディアを彩ったのはアイドルではなく“普通の学生”だった。「女子大生ブーム」は1980年代に入ると同時にやってきた。その扉を開いたのが、今やクイズ番組の顔である宮崎美子だ。
1980年春、ミノルタ(現・コニカミノルタ)のCMで、木陰でTシャツとジーンズを脱ぎ捨て、恥じらいながらビキニになる姿が大反響となる。健康的でグラマラスな体、そして国立・熊本大学の現役女子大生であるということが話題となった。それまで「エリート」「知的」という硬派なイメージだった女子大生の印象を、柔らかい宮崎が一変させ、「才色兼備」を体現する存在として持て囃された。
彼女が世に出るきっかけとなったのは、1980年に始まった『週刊朝日』の女子大生表紙モデル企画に応募し、抜擢されたことだった(一般公募によって選ばれる同企画は1996年まで続く)。
この頃、同時多発的に女子大生を主役に据えたコンテンツが立ち上がる。1981年、文化放送がスタートさせた『ミスDJリクエストパレード』は、日替わりのDJ全員が女子大生。成城大学の千倉真理の「やるっきゃない!」は流行語になり、青山学院大学の川島なお美や宮崎美子の後輩・斉藤慶子も、ここから飛躍していく。
女子大生向けファッション誌も創刊ラッシュを迎え、『CanCam』(1982年、小学館)、『Olive』(1982年、マガジンハウス)、『ViVi』(1983年、講談社)、『Ray』(1988年、主婦の友社)などが「女子大生」というブランドを形作っていった。そして1983年、『オールナイトフジ』(フジテレビ系)が始まったことで、女子大生ブームはいよいよ頂点に達する。
なぜこの時代に、こうした女子大生ブームが生まれたのか。当時の新聞に〈女子大生ブームをもたらしたのは、女子の三人に一人が大学、短大に進学する時代になり、「女子大生」の肩書が珍しくなくなってきた〉(日本経済新聞1983年12月28日)とあるように、女性の進学率が上がって女子大生の数が増加。その中で前述したように“硬派”なエリートだけではなく、親しみやすい“軟派”な女子大生が増えた。かつてのイメージとのギャップが人気を生んだ理由のようだ。