「自分でパソコンを打つことはない」「USBが何かは分からない」「スマホは極めて便利なので一日何回も使っている」「パソコン教室に何回か行った」──桜田義孝・五輪担当大臣兼サイバーセキュリティ戦略本部担当大臣の発言が物議を醸している。
海外では“パソコンを使えないサイバーセキュリティ大臣”として笑いの種にされ、「いかなるハッカーも桜田大臣から情報を盗むことは不可能」(仏・AFP)、「System error」(英・ガーディアン)と揶揄されている。
むろん、「パソコンを自ら打てるかどうか」で政治家としての資質が決まるわけではない。桜田大臣が答弁した通り、「いろんな能力を総結集して、ジャッジしてやるのが私の仕事」であり、自ら言うように「判断力は抜群」なら、問題は起きないかもしれない。
彼自身の経歴を見ると、その「判断力」や「政治家としての能力」の片鱗を垣間見ることができる。
千葉県柏市出身の68歳。地元の小中学校を経て、千葉県立高校の園芸科に進んだ。その後、働いて学費を稼ぎながら、明治大学商学部の夜間に通う。4歳年下の安倍晋三・首相や麻生太郎・財務相のように何不自由なく育ったわけではない。苦労人なのだ。
その後、柏市の青年会議所に所属、柏市議会議員を2期、千葉県議会議員を1期務め、1996年に国政で初当選。2000年の選挙では、選挙区(千葉8区)では落選しながらも、比例南関東ブロックでギリギリ復活当選する。森政権では外務政務官を務め、「えひめ丸事故」の対応にあたった。2005年、小泉政権で「内閣府副大臣」に就任。
当選4回で副大臣──自民党では取り立てて早くも遅くもない、ごく普通の出世スピードと言える。2009年の選挙では落選。決して地盤が強い政治家ではないのだ。それでも2012年の選挙で国政に復帰すると、第2次安倍内閣で文部科学副大臣に就任した(当選5回)。
そして今回、満を持して大臣就任である。現在、当選7回。これも自民党ではごく普通の出世スピードである。
振り返って分かるのは、内閣府副大臣としても文部科学副大臣としても、多くの人が思い出せるような政策面の成果は取り立ててなく、当選回数を重ねたことにより自民党の出世すごろくを歩んできた「昭和的な叩き上げ政治家」だということである。特に今回は「五輪相」という、いかにも臨時的なポストがたまたま空いていたから大臣に滑り込めた、と見えなくもない。
ただし、政治的な“空気を読む判断力”はあるようだ。小泉政権が始まったばかりの2001年には、小泉改革応援団を自負する「小泉内閣の聖域なき構造改革の断行を支援する若手議員の会」の世話人代表を務めた。その後、小泉人気が高まる中で、若手代表として執行部を支えたのだ。
さらに、国政復帰後の2014年には安倍首相からパージされつつあった額賀派(旧橋本派)を抜け、その後、二階派に参加。今回の入閣につながった。
自民党で目立った実績もないまま「当選7回で大臣の椅子」を目指すなら、このように寄らば大樹で権力を渡り歩く“判断力”は欠かせない。パソコンを自分で打てるようになるために教室に通う時間があったら、政策づくりと人脈づくりにいそしむのは理に適っているとも言える。
もっとも桜田氏の場合、「パソコン」以前に政治家としての資質に疑問符も付く。