映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、俳優・岸部一徳が、主演映画『鈴木家の嘘』で日常を演じたこと、ミュージシャンから転身して四十年以上、俳優を続けてきたことについて語った言葉をお届けする。
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公開中の主演映画『鈴木家の嘘』では、息子の自殺を妻に隠そうとする父親役を演じている。脚本が岸部を想定して書かれていたこともあり、家庭の日常空間にいる父親がまるで岸部そのもののように見えてくる。
「よく書けている脚本だと思います。そこにふっと、そのままそこにいれば、もう成り立っているような脚本でしたからね。自分がポッとそこに立つという風に、ただそこにいればいい。
映画は別に俳優だけが背負ってやっているわけではないので、一つのシーン、一つのカットで俳優が受け持つのは百じゃなくていいわけです。俳優が何かを喋るよりも、そこにポツンと何か置いてあることで表現できる場合もあって、それが映画の面白さというか。この映画は、そういう喋っているようで喋ってないシーンがある。ですから、僕には入りやすかったです。この監督(野尻克己氏)は映画の助監督が長かったから、そこのところをよく分かっています。
日常を演じることは、僕は難しいとは思わないですね。こういう映画で父親の役をやると、改めて家族というものを考えたりします。息子のことや、娘はどう思っているのかとかね。そういうことを考えながらやっていると、自分の日常にちょっと重なって、この役のこの家庭での日常はこんな風にするとこんな風に見えるかな、ということを意識して考えなくなるんですよ。自分が過ごしてきた日常というのは、どこかもう体の中に入っているので。ですから、そういう意味で物凄くリアル。それを一生懸命やった感じです」
ミュージシャンから俳優に転身して、四十年以上になる。その原動力はなんだったのだろう。