日本の帯ドラマの基礎を固めたといわれるドラマ『バス通り裏』で女優デビューを飾り、今年で60年。十朱幸代(76才)がその人生を振り返り記した自伝『愛し続ける私』(集英社)が話題になっている。華やかな世界で活躍し続ける彼女の素顔に迫る。
女優を志したのは父の影響が大きい。父・十朱久雄は東京・日本橋に江戸時代から続く老舗の麻問屋「小倉貿易」を営む家に生まれながら、家業を継がずに俳優になった。その父の仕事先についていくうちに、テレビ放送が始まって間もないNHKの連続ドラマ『バス通り裏』の主演・元子役に抜擢された。当時は生放送だったので、入学したばかりの高校を早退してスタジオ入りする日々になった。
それ以前に銀座でスカウトされ、子役モデルとして少女雑誌のグラビアを飾っていたので、カメラには慣れていた。
「だけど、女優としての勉強は何もしていない、素養もない。でも“そのままがいい”と言われて、遊びに行っているようなものでした(笑い)」(十朱・以下同)
この作品での素直な演技が認められ、巨匠・木下惠介監督の映画『惜春鳥』に起用され、さらには舞台へと活躍の場が広がる。
「でも、演じてみて力のなさに自分でも呆れました。特に舞台では歩く姿さえサマにならない。役をいただくたびに慌てて日本舞踊を習い、お茶を習い、三味線を習い…、そうやって、所作や決まり事を身につけたんです」
独特の舞台化粧にも悩んだ。
「舞台メイクは自分でするんですけど、普通は弟子入り先や、所属する劇団などで教えてもらうんです。でも、私はフリーなので、誰にも干渉されない代わりに教えてももらえない。眉一つ描けないから、毎回、ヘンな顔になってしまって(笑い)」
共演の大女優・山田五十鈴が見るに見かねて、照明も考慮し、客席の最後尾からもきちんと見える「顔」の作り方を教えてくれたという。
「ずっとフリーだったから、映画会社の枠にしばられることなく、私ほどたくさんのスターさんと共演してきた女優はいないんじゃないかしら。本当に恵まれてきたと思います」
人気絶頂だった頃の中村錦之助(のちの萬屋錦之介)、高倉健、渥美清、仲代達矢、緒形拳、勝新太郎、津川雅彦、舞台でも森繁久彌や長谷川一夫、島田正吾など日本の芸能史に燦然と輝く俳優たちと共演してきた。
「私、当時の女性としては背が高い方で、162cmを超えていたんです。思いっきり高いハイヒールを履いても、気を使わないでいられたのは、石原裕次郎さん、小林旭さん、高倉さんくらい。でも、年とともに縮んじゃって、いやだわ(笑い)。脊柱が縮むんですって」
いつしか清純派から、汚れ役もできる演技派に変貌を遂げた。芸を教えられ、演技を語り合った俳優もそのほとんどがすでに世を去った。同じ時代を生きた女優たちは結婚し、引退した人も少なくない。
「仕事がつらいと思ったことも、やめようと思ったこともありません。恋愛した時、迷いはあったけど、私には女優以外の生き方はないと思って。失恋の苦しみや悲しみは、いつしか演技に生かしてきたんです。人と競うという気持ちもないし、器用でもない。でも、仕事に対する情熱だけは捨てられなかったんです」
※女性セブン2018年12月13日号