内戦下のシリアで、武装勢力に拘束されたジャーナリストの安田純平さん(44才)が10月末、約3年4か月ぶりに解放されて帰国した。しかし、安田さんに対して日本社会の反応は微妙なものだった。自己責任論が巻き起こったのである。
「自己責任論は現代の病です」
と指摘するのは、思想家の内田樹さんだ。
「戦後の貧しい時代は、相互に支援し合わなければ、地域共同体は維持できなかった。そんな時代には『自己責任』なんて誰も言いませんでした。高度経済成長を経てバブルの時代になると、人々は金儲けに熱しましたが、その余沢で隣人が何をしてても『好きにしたら』という感じで、放っておいてくれました。
ところがバブルが崩壊し、パイが縮み始めると、分配の仕方にうるさく口を出す人が増えてきた。社会の役に立つことをしていない人間が孤立して分配にあやかれないのは『自己責任だ。支援する義理はない』と突き放すことが普通になったのです」
自己責任を主張する人々に対して、内田さんはこう主張する。
「近代市民社会は、私人が自分の私財や私権を譲って、『公共』に差し出して、貧しい人、非力な人を支えるための資源に当てることで成立したものです。学校教育や医療、福祉などの原資は余裕のある人が差し出した『身銭』です。金持ちや権力者が自分の資産も権力も全部わが物であって、弱者と分かち合う義務がないと言い出したら、近代市民社会そのものが終わってしまう。『自己責任』で突っぱねたら、いずれ彼らの私財や私権の土台である共同体そのものが瓦解してしまうことを理解していません」
生きている限り、勤め先が突然倒産したり、急病を患ったり、重い障害を背負うリスクは誰だって避けられません。そんな時、誰でも自尊感情を維持して、健康で文化的な生活を営める仕組みをどう作るか、それに近代市民社会は知恵を絞ってきました。
『自己責任論』はその知的努力を放棄する思考停止に過ぎません。『自己責任論』を語る人たちは自分自身が路頭に迷う日が来るかもしれないということについて、あまりにも想像力を欠いています…内田さんはそう言う。
今年7月、タイの洞窟に地元サッカーチームの少年とコーチ13人が閉じ込められ、17日後に無事救出された。その後、少年らがにこやかに開いた会見を見た映画監督でノンフィクション作家の森達也さんは、このようなツイートをして物議を醸した。
《これがもしも日本なら、「自己責任をどのように考えるのか」「亡くなったダイバーの遺族に謝罪はないのか」(中略)などの質問がきっと浴びせられるのだろうな》
この思いは今も変わらないと森さんは言う。
「タイではみんな笑顔になって『帰ってきてよかったね』と言って一件落着ですが、同じことが日本で起きたら、すさまじいバッシングとなるはずです」
◆ネットの匿名性+日本独自の集団主義
なぜ日本ではバッシングされるのか。森さんは、「集団と違うことをする者を排除する」という日本人の特徴を指摘する。