父の急死によって認知症の母(83才)を支える立場となった女性セブンのN記者(54才)が、介護の現実を綴る。認知症の母は、数分前のことも忘れる。だから若い頃から好きな読書はもう無理だろうと、私は勝手に思っていた。ところが母は今も本や雑誌、新聞まで読みあさる。あるとき、自分の認知症の始まりは、読書中に気づいたのだと語り出した。
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「本を開いたらね、文字がこう…紙に埋もれちゃって、何が書いてあるか全然わからないの。すぐに私、認知症になったってわかったわ」
母の認知症診断から早や5年、記憶や見当識の障害は徐々に進んできていると感じる今日この頃、一緒に立ち寄った書店で、突然、母が話し始めた。
認知症家族歴5年にもなると、たいていの不思議発言は受け流せるが、さすがに驚いて母の顔をまじまじと見た。
「文字が…、埋もれてたの? それいつの話?」
「いつだったかしら? 私が認知症になったときよ」
母は若い頃から読書が好き。いわゆる“本の虫”だ。国内外の文学全集から話題の大衆小説まで幅広く読破。私が仕事を始めてからは『女性セブン』の芸能記事も熱心に読む。「文字の向こうに別世界がある」というのが口癖だ。
“文字が紙に埋もれて”というのも母らしい比喩だが、私も頭が疲れているとき、資料の活字を何度たどっても内容が入って来ず、思考停止することがある。認知症の人の頭の中は、それと似た感覚なのかもしれない。認知症の人本人ならではのリアルな証言だ。
母はさらに饒舌になった。
「若い頃は、本を読んでいると、文字が躍るように目に飛び込んで来たの。ススッと」
これはわかる。おもしろい小説などは、文字に誘われて物語に引き込まれる。
「でもね、最近、私の認知症、治ったのよね」と、衝撃的告白。またまた驚いて母を見た。
「だって、また文字が躍るようになったんだもの!」
◆認知症でも読書の楽しさは実感できる
母が認知症の診断を受けたばかりの頃は混乱がひどく、物盗られ妄想で私を悪魔のように罵ったかと思えば、無気力と激昂が不規則に表れた。いちいち私は動揺し、途方に暮れていた。以前のように読書を楽しみ、文学を語る母は消えたのだと思った。数分前のことも覚えていないのに、読書を楽しめるわけがないと。
ところが違ったのだ。認知症発症から1年ほどして、今の住まいのサ高住に転居が決まり、母が長年かけてそろえた数十冊の文学全集を、処分せざるを得なくなった。たぶん母にはもう不要だが、宝物だろう。不安定な母をどう説得するか悩みつつ、恐る恐る切り出すと、思いがけない答えが返ってきたのだ。
「かまわないよ。もうこれは全部読んだし、また新しい本を買う楽しみがあるから」と。
まだ本が読める…? 戸惑いながらも一筋の光を見出した気持ちだった。
生活環境が整った新居で落ち着きを取り戻すと、母は本当に精力的に読書を再開した。通院などの外出先で目ざとく書店を見つけては、興奮気味に新刊本や雑誌を手に取って目を輝かせる。書店に入ったという出来事はすぐに忘れてしまうのだが、読んで、母の言う“文字の向こうの世界”を楽しむ瞬間は確実にあるらしい。書店の看板やズラリと並んだ本の表紙、活字などが、母を引き寄せるのだ。
最近の母の愛読書は認知症関連の実用本。その前向きな心意気がうれしい。
※女性セブン2018年12月20日号