英語教育の早期化や英会話習得の重要性がますます高まっているが、「グローバル化の時代だからこそ、英語に頼らないで日本語で勝負するという戦略を真剣に考えてもいいのではないか」と指摘するのは、同志社大学政策学部教授の太田肇氏だ。
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グローバル化の時代には英語力が絶対必要なのに、日本人は英語が話せない。それが競争上の大きなハンディになり、日本人は世界から置いて行かれようとしている──そういわれ続けてきた。その日本も、英語教育の効果がようやく表れてきたのか、総合商社や大手メーカーなどで働く若手社員の多くは英語が堪能で、言葉の壁は薄くなっているそうだ。
ところが、海外では相変わらず日本人同士が固まって行動し、現地の人たちと積極的にコミュニケーションをとろうとしない。また自分の頭で考えたり、自分の意見を筋立てて話したりする習慣も身についていない。英語は話せるようになっても、日本人の行動様式はまったく変わっていないのだ。
けれどもわが国では、「グローバル化といえば英語」という固定観念が根強い。文部科学省は新学習指導要領が2020年から施行されるのに備えて、小学3年生から英語教育を取り入れ、高校や大学でも英語教育をますます充実させようとしている。多くの大学は、海外へ語学留学する学生に対する支援にも力を入れている。語学(英語)教育はこれまでにないほど充実してきたといっても過言ではなかろう。
これまでも英語は中学・高校の教科のなかでも中心的な位置を占めていて、受験生たちは英語の学習に最も多くの時間を費やしている。大学入学後、さらに就職してからも、TOEICやTOFELで高得点を取ることを目標に努力している若者が多い。
◆英語よりも英語習得がハンディに
日本人がこれだけ熱心に英語学習に励んでいることは称賛されるべきだろう。しかし見方を変えれば、グローバル競争を勝ち抜くうえで英語の勉強が大きなハンディになっていることを意味する。日本人が英語の学習に投入する時間とエネルギーを、欧米人は創造的な活動や個性を磨くトレーニングに投入できるからである。
ちなみに、われわれ研究の分野でも膨大な英語の文献を読んだり、英語で論文を書いたりするのに時間をとられ、内容を深める努力がおろそかになる傾向がみられるし、いくら独創性があっても英語が苦手な人は研究者になれないのが現実だ。
現在問題なのは英語のハンディというより、英語習得のハンディだといってもよい。
ところで、グローバル化とAI化が同時進行するこれからの時代には、独創性や創造性、勘、ひらめき、感性、洞察力といった人間特有の知的能力がますます重要になる。コミュニケーションにしても、相手の立場や気持ちを理解するとか、相互の主張を取り入れながら合意を形成するといった能力こそが問われる。
多様な経験や深い思考を重ねながら、それらの能力を鍛えていくことでグローバルに活躍できる人材が育っていく。前述の学習指導要領でも、外国語教育の充実とならんで思考力や表現力を育てることも謳っている。しかし英語習得のハンディがあるなかで、それにどれだけ本腰を入れて取り組めるかは疑問だ。