父の急死で認知症の母(83才)を介護することとなった女性セブンのN記者(54才・女性)が、介護の日々を綴る。
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得意げにカラオケで絶唱する高齢者もいるが、母は大の苦手。音楽とは縁遠い人生を送ってきた。そんな母だが、父と聴いた曲だけは別格らしい。もの忘れで失敗すると、大声で歌って私を煙に巻くようになった。
◆聞きたくないことは歌ってシャットアウト
「ママ! もう冬なんだよ。夏のTシャツのまま歩いていたら笑われちゃう!」
母が認知症と診断されてから約6年。よくある症状もそのメカニズムも、怒鳴らないようにする心構えも、数々の専門家に教わってきたが、つい、小言が口をついて出る。
一時、ひどかったもの盗られ妄想はなくなったが、最近、記憶や見当識の障害がグンと進み、洗濯物干しが中断したままになったり、服装がおかしくなったりが多くなった。そこへまた私も性懲りもなく、ズバリと指摘してしまう。
が、母の方でも想定内らしい。いちいち反撃せず、不出来な娘がいまだにうまく認知症対応できないことを、母の余裕で大目に見てやっているかのように、フッとため息をついてから無視をする。
そして最近気づいたのだが、そんなとき、母は決まってお気に入りの歌を歌う。私の意地悪な指摘をシャットアウトするように、よそを向いて大きな声で歌うのだ。
◆団地の居間で優雅に響いた越路吹雪
母はもともと大きな声で歌うのを恥ずかしがる人だ。母の歌声といえば若い頃、家事をしながら口ずさむ題名不詳の鼻歌くらい。デイサービスではみんなで歌うこともあるらしいが、住まいのサ高住でよく開催されるカラオケ大会には、絶対に近寄らない。テレビやラジオも本を読むのに邪魔だとつけないので、母の部屋はいつも静寂が漂う。きっと流行りの歌も知らないだろう。
今はみんなイヤホンで好きな曲を聴き、癒されたり元気づけられたりするが、母の中には音楽が流れることもなく、やはり無音なのだろうかと、ふと考えたりしていた。
そんな母がピンチのときに歌うようになったのは『サン・トワ・マミー』だ。私が小学生の頃、小遣いを貯めて初めて母の誕生日にプレゼントしたのが、越路吹雪の『サン・トワ・マミー』のレコードだった。
当時、小遣いで親にプレゼントをするのが学校で流行っていて、難しそうな文学以外、これといった趣味のない母に、しつこく欲しいものを聞いた。
「そうねえ、レコードなんかどう? 越路吹雪の『サン・トワ・マミー』が好きなのよ」
子供の小遣いで買えるものと気を使ったこともあるだろうが、具体的な歌手名と曲名が、音楽と無縁の母の口から出たことに驚き、何度も聞き返してメモしたことを覚えている。
当時、団地のわが家の小さな居間には、レコードプレーヤーののったステレオが鎮座していた。音楽を聴くときは家族揃って座り、父が恭しくレコードの針を落とし、曲が始まるのを息をのんで待った。わが家にとって音楽は、そんな特別なものだった。そして母がレコードをねだってくれたことがうれしかった。
あれから半世紀近くたち、母は認知症になった。いろいろなことを忘れるようになったが、『サン・トワ・マミー』はほぼ完璧に歌いこなす。
声には出さないが、ずっと心の中で口ずさんでいたのかもしれない。そして今、娘とのバトルの際には、大音量で母を支えているに違いない。
※女性セブン2019年1月1日号