【著者に訊け】下村敦史氏/『悲願花』/小学館/1600円+税
一人は両親が借金苦から自宅に火を放ち、幼い妹や弟まで失った、20代後半の孤独な事務員〈山上幸子〉。一人は離婚後も育児と仕事に追われ、3人の子供を道連れに発作的に車のアクセルを踏み込んだ、30代のシングルマザー〈坂下雪絵〉。
下村敦史著『悲願花』は、それぞれ〈心中の生き残り〉という重い過去を背負った2人の運命の交錯を描く。ある時、家族の墓を十数年ぶりに訪れた幸子は、別の墓の前で倒れている女性を助けようとして、こう告白される。〈子供たちが眠っているんです〉〈心中しようとして、車で海に飛び込んだんです。あたしだけが――生き残ってしまいました〉
かたや実の親に殺されかけた〈被害者〉、かたや我が子を手にかけた〈加害者〉であり、立場は一見逆だ。が、雪絵の虚ろな目を見て幸子は思う。〈彼女は墓地から蘇った母だった〉と。2014年度のミステリーランキングを賑わせた乱歩賞受賞作『闇に香る嘘』以来、山岳ミステリーから社会派まで、毎作「未知の領域」に挑んできた下村氏。
「今回も担当編集者が産休から復帰するなり、『下村さん、新作は児童虐待とシングルファーザーの物語でどうですか?』と爆弾を投げてきて、彼女の突然のヘビーな提案に驚きつつも、挑戦してみよう、と。
それが細部を詰めるうちに父親が母親になり、一家心中の被害者と加害者の話になっていったのですが、女性を主人公にしたのも、巻末に参考資料がないのも、実は本書が初めて。資料を読み込むと武器にはなる分、どうしても説明的になりがちで、僕の場合は登場人物に憑依して書けた時の方が読者の評判もいい。なので、あえて今回は資料に頼らず、幸子たちの心情に入り込むことに専念してみました」