【書評】『淳ちゃん先生のこと』/重金敦之・著/左右社/1800円+税
【評者】川本三郎(評論家)
「淳ちゃん先生」とは『ひとひらの雪』『失楽園』などで知られる渡辺淳一のこと。朝日新聞の編集記者として早くから原稿を依頼していた著者による回想記。人柄を深く知る著者だけに人間味あふれる作家の評伝にもなっている。
渡辺淳一は北海道の大学病院で働く医師だった。かたわら小説も書いていた。一九六八年、札幌医科大学の和田寿郎教授が日本ではじめて心臓移植手術をして話題になった時、それを題材に『小説心臓移植』を発表。これが大学病院内で一種の内部告発とみなされ、渡辺淳一は病院内にいにくくなった。そのために作家として生きようと意を決して東京へ出た。
いわば心臓移植事件が作家渡辺淳一を生んだことになる。このあたり組織対個人の永遠の対立が興味深い。のちのベストセラー作家も初めから順調だったわけではない。筆一本で生きる覚悟を決めて作家修業を続ける若き渡辺淳一を支えたのは筆者をはじめとする出版社の編集者たち。医学界からは追われても出版界は才能ある書き手を受け入れる。今も昔も変わらぬ出版界の良さ。
渡辺淳一は女性を、恋愛を、不倫を描くのに定評があったが、御本人自身、若い頃から大変な艶福家だったようだ。平たく言えば、女性にもてた。その体験の裏付けがあるから次々に女性小説を書くことが出来たのだろう。いってみれば元手がかかっている。
北海道出身の作家が次第に京都の女性たちに惹かれてゆき、『まひる野』『化粧』などの京都ものを書くようになる経緯も面白い。異文化への興味からだろう。京都を深く知るにあたっては、お茶屋「K」の女将の存在が大きいという。艶福家ならではだが、渡辺淳一としては、現代では次第に消えつつある花柳小説の伝統を守りたいという思いもあっただろう。
編集者に慕われた作家だった。担当編集者たちとよく食事をし、旅行にも行った。それで「淳ちゃん先生」と呼ばれた。女性との噂の絶えない夫を蔭で支えた賢夫人の存在も大きい。
※週刊ポスト2019年2月1日号