平成前期の各界は優勝決定戦が頻発、語り継がれる名勝負も多い。元横綱・武蔵丸、武蔵川光偉親方が当時のライバルを語った。
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私は平成元年(1989年)初土俵。当時、平成前期の力士たちはそれぞれが自分の型を持っていましたね。長い腕や重い体重を利用して、とにかく自分が有利になるような相撲に持ち込んでいた。この形になれば横綱にも負けないと、みんなが自信を持って戦っていました。
力が拮抗していたので、序盤から星の潰し合いがあって、千秋楽の最後の一番まで誰が優勝するかわかりませんでした。千秋楽の勝ち負けで星が並び、優勝決定戦になるのはザラ。なんでも平成5~10年(1993~1997年)には優勝決定戦が11回もあったとか。私も生涯7回の決定戦を戦いました。
ただ実は、私は決定戦で負けた記憶しかないんですよね(苦笑)。戦績は1勝6敗。勝ったのは平成8年(1996年)11月場所、結び前と結びの一番で3敗力士が負けて11勝4敗で並んだ、史上初の「5人での優勝決定戦」でした。若者頭から「決定戦をやる」と言われて土俵に行くと、「(戦う力士が)結構いるじゃないか」と驚いたのを覚えています。もうとにかく開き直るしかなくて、何も考えずに持てる力を出し切ろうと土俵に上り、優勝できました。
それぞれがまともにぶつかり合うので、立ち遅れたり躊躇したりしたら相手のペースになって負ける。琴錦や安芸乃島のように土俵から簡単に出ない力士も多く、相撲を取っていて面白かった。