平成のスポーツ名場面を思い返し、印象的な“美しい敗者”といえば多くの国民がこの人を思い浮かべるのではないだろうか。
14歳でグランプリファイナルを制し、国民的アイドルとなった浅田真央。バンクーバー五輪でライバルのキム・ヨナに次ぐ銀メダルとなり、続くソチ五輪で雪辱を期すはずだった。
ショートでは冒頭のトリプルアクセルで転倒し、コンビネーションジャンプもうまくいかず16位に低迷。演技後、放心状態の浅田は「何もわからない」とインタビューにも応じられないほど落ち込んでいた。だが翌日(平成26年=2014年2月21日)のフリーでは冒頭のトリプルアクセルを成功させると、8度の三回転ジャンプを着氷させ、自己最高点を叩き出す。最終順位は6位入賞。氷上では人目を憚らず涙した。
「昨日は悔しい思いをしたが、今日は自分の中で最高の演技ができ、恩返しができたと思う」
浅田は試合後こう話した。1年間の競技生活休養を宣言、3年後に引退を発表。結果的にこれが最後の五輪となった。
※週刊ポスト2019年2月1日号