今宵は横浜の弘明寺(ぐみょうじ)で角打ちだ。と言っても、横浜市内最古の寺として知られる瑞應山(ずいおうざん)蓮華院弘明寺で飲もうというわけではない。目的の店は『越前屋田中酒店』である。
ブルーラインの愛称を持つ横浜市営地下鉄1、3号線の各駅停車に乗って横浜駅から戸塚方面へ向かうと、8つ目の駅が弘明寺。寺はここから徒歩5分の所にあるが、店はそれよりもっと駅に近い徒歩2分の場所で賑わいを見せている。
この店の3代目主人は田中庸三さん(50歳)。「最初は醤油屋だったんですが、戦後すぐ酒を扱うようになって70年以上経ちますね。角打ちもそれと同じ歴史で、贔屓にしてくれるお客さんが結構いたようです」
やがてゆとりの時代が来ると、角打ち専用スペースが作られ、そこでのんびり飲めるようになった。
「88歳になる父(照知さん)も、角打ちを愛しています。今も毎日カウンター奥に顔を出しますからね。でも、現役の父はあくまでも“基本は酒屋なんだ”という矜持を保ち続けていましてね。楽しい角打ちの場をもっと広げたいと強い思いを持っていた自分との綱引きが何度かありまして、やっと現状の広さまで認めてもらったというわけです」と、庸三さんは笑う。
結果として店の右側3分の1を角打ち空間として囲み、常連客が言う所の、理想の高さのカウンターと壁際の棚を手作りで設えた。
「本当はもう少しスペースを広げたいらしいけど、この10人ちょっとの狭さがみんな好きでね。これにご主人と奥さん(さえ子さん)、中学時代同級生だそうだけど、2人のなんとも言えない柔らかな、あったかい人柄もあって、居心地の良さが増している。だから僕なんか週に4日来ています。それが“週慣”になっちゃってるんですよ」(40代、自称普通の会社員)
「ほら、ここの先代の顔が今日もありますが、さすがの風格でしょ。先代夫人(千鶴子さん)も可愛い人でね。2世代の田中夫妻それぞれにファンがついていて。昔からの常連さんたちは、両方とも大好きなんですよ」(40代、市職員)
ここで先代主人の照知さんがひとこと。
「商売は楽しいというより苦労ばっかり。その積み重ねでここまできました。でも、角打ちも含めて、これからのことは息子にまかせます。体だって、考え方だって、息子の方が柔軟に動けますからね」
米寿の重みで語られる店を愛する言葉は、実に味わい深い。
「ようぞうくん」「さえこ」と声を掛け合いながら酒屋と角打ち部を切り盛りする3代目田中夫妻。その姿を、羨ましさと微笑ましさを溶け込ませた目で見やりながらも、常連客は自分の世界でゆっくり飲んでいる。