昨年11月、『人生会議』という言葉が登場した。これは、終末期に自分が望む医療やケアについて、事前に家族や医療者と話し合い、共有する取り組みであるAPC(アドバンス・ケア・プランニング)の愛称。広く親しまれるよう公募で決まったものだ。
APCは欧米ではすでに普及し、日本でも医療や介護の現場で取り組まれている。でも“人生の最終段階”、つまり死が間近に迫る段階のことは、なんとなく目を背けたいと思うのも人情。特に老親とそれを支える子世代にとっては少々ハードルが高い。
今なぜ『人生会議』が重要なのか。どんな一歩を踏み出せばよいか。多くの終末期の人に向き合ってきた内科専門医で、『自分らしい「生き」「死に」を考える会』代表の渡辺敏恵さんに聞いた。現代は医療の進歩によって救える命が増え、医療の選択肢も増えたと渡辺さんは言う。
「かつての医療は“できることはすべてやる”という考え方でした。たとえ望みは薄い状態でも、胃ろうや人工呼吸器などを駆使して、力を尽くすのが医師の使命であると。しかしそれが必ずしも望ましい結果になるとは限らず、患者さん自身に苦痛を強いることになる場合もあるのです」
渡辺さんも医師として、たとえば意識がないまま経管栄養で寝たきり生活を続ける多くの患者を目の当たりにし、人の終末期のあり方や向き合い方に悩んだという。また命の危険が迫る状態になると、約7割の人が治療法を自分で選択したり、希望を人に伝えたりすることができなくなるといわれる。
「特に日本の高齢者の多くは、自分に施される医療の大事な選択を、子供、家族に委ねてしまっているのが現状。子供の立場からすると大変な責任を背負うわけです。ここで親の考えがわからなければ、“とにかくできる限りのことをやって”と言うしかないけれど、そんな選択の仕方は後悔が残りやすいのです。“果たして、親が望んだ結果になったのか”と、永遠の疑問符を抱えることになる。
最期のときにどんな治療を行い、どんな治療を避け、何を大切にして過ごしたいか。“患者さん本人の意思”こそが何より重要です。そしてその意思を医療に反映させるためにも、本人と家族、医療者、介護職までがじっくり話し合い、共有することが必要なのです」
この話し合いは、必要が迫ってからではなく、元気なうちから始めるべきだという。
「終末期医療の選択をする作業だけではないのです。“本人の意思”といっても、健康なとき、病気になったとき、またライフステージによっても考え方は変化していくもの。人の最期はそんな人生の延長線上にあって、いろいろな段階での気持ちの変化も含め、その選択に至る生き方や家族間の心の交流などが大事。そうして導かれた選択にこそ、大きな意味があります。
元気なときには、まず家族間で。年を重ねて病気や衰えが出てきたら、かかりつけ医などの医療者を巻き込み、専門的な情報も得ながら話す。『人生会議』は、死ぬときまでの生き方を信頼する人たちと話し合う会議なのです」
※女性セブン2019年2月14日号