ヨーロッパ随一の親日国といって過言ではないポーランド。両国の絆はソ連の共産主義の前にも揺らぐことがなかった。ジャーナリスト・井上和彦氏がレポートする。
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バラの花が咲き乱れたワジェンキ公園には、ポーランドが生んだ偉大な作曲家フレデリック・ショパンの銅像が建ち、横にはピアノが置かれていた。これからピアニストによる野外演奏が始まるのだ。しばらくすると人々が公園に集まりだし、ショパンの流麗な楽曲が流れると、人々はその演奏に聴き入った。
ポーランド人から愛され続けるショパンその楽曲の中でも「革命」はポーランドの悲哀の歴史を物語っている。この曲が生まれたのは、ポーランドがロシアからの独立を勝ち取るため武装蜂起した最中の1831年のことだった。
ヨーロッパの中央に位置し、ロシアとドイツという大国に挟まれたポーランドは、隣接する大国に国土を分断され、あるいは戦場となって蹂躙されてきた。第二次世界大戦後は、意に反して共産主義独裁国家ソ連の陣営に否応なく組み込まれ、約半世紀にわたり共産主義の弾圧に苦しんだ。
そんなポーランドは、ヨーロッパ一の親日国家であることをご存じだろうか。その理由の一つが、第一次世界大戦(1914~1918年)末期の「シベリア出兵」時のある出来事にある。
当時、ロシア革命に干渉すべく、日本、米国、英国、フランスらの連合国がシベリアに出兵した。日本は、兵力7万3000人と戦費10億円を投じ、約3000人もの戦死者を出した。だがその結果として、日本がシベリアで孤立した765人のポーランド人孤児を救うことができたのである。