父が急死したことで認知症の母(84才)を支える立場となった本誌・女性セブンのN記者(55才・女性)が、介護生活の中の出来事を明かす。
* * *
父に先立たれ、独居で認知症も患い、できないことも増えてきている母だが、なんだか毎日幸せそうだ。物盗られ妄想に苦しんだ時期に比べて、いや、若いころと比べても“おもしろそうに笑う“ことが増えてきた。
◆小さな笑いの種を丁寧に拾い、笑いにつなげる母
母と娘と3人で出掛けたときのことだ。いつもサ高住の中の食堂で3食済ませる母にとって、外食はさぞワクワクするのだろう。駅前に軒を連ねる飲食店の看板や店先に貼られたおいしそうな料理写真を、一つひとつうれしそうに見ていた。
ふと「ラーメン・つけ麺」と書かれた目立つ看板に足を止めた。食堂ではラーメンのような食事は出ないから、たまにはいいかと思っていると、母がおもむろに、「ぼくイケメン…だよね」とつぶやいた。
私は思わず母を二度見。娘はドカンと大爆笑した。
数分前のことは忘れるが、自分が10代や20代だったころの記憶は鮮明。そんな認知症の症状には慣れてきたが、10年くらい前に巷で流行ったギャグが、母の口をついて出てくるとは意外だった。
「ラーメン・つけ麺・ぼくイケメン」のギャグが流行ったころ、母はまだ認知症を発症していなかったし、こういう大衆的なお笑いにはまったく興味がないと思っていた。まさか、こっそり脳の引き出しにしまい込んでいたとは…。
このギャグがよほど気に入っていたのか、あるいは案外ベタなお笑いが好きなのか、母の顔には娘と孫を爆笑させた“してやったり”の笑みが広がっていた。
◆母の目に映る世の中はおもしろいことだらけ
父が亡くなった直後から1年余りの母は、物盗られ妄想をはじめとするBPSD(行動・心理症状)が激しく、笑顔どころか表情も失った。人の老いは、やはりこんな暗闇の中にあるものなのだと当時の私は思い込んでいたが、生活が落ち着いてBPSDが失せると、母は見る見る明るい表情を取り戻した。娘の私が驚くほど、以前にも増してよく笑うようになったのだ。
たとえばコンビニで、父に供える日本酒を買うとき、「年齢確認をお願いします」とぶっきらぼうに店員さんが言うだけで、もう我慢できずに笑っている。
「この人、あたしをいくつだと思っているのかしら」
お笑いのネタにはなりそうな場面だが、実際にはスルーされる日常のひとコマだ。それもわかっているのか、声を押し殺してヒィヒィ笑う。
街を歩く若者の奇抜なファッションにも即、反応。股下がダボッとして足首まで垂れ下がったサルエルパンツなどは母には衝撃的なスタイルで、「あら、どうしたの!? あんなに足が短くていいの?」と、目を輝かせて笑う。そのサルエルパンツの彼が、人目もはばからず彼女とイチャイチャしていたのも、おかしさに拍車をかけたようだ。
母の笑いを見ていると、昨年亡くなった樹木希林さんが語った「客観的に楽しむのではなく、その中に入っておもしろがる」という人生論がわかる気がする。母は明らかに、心底おもしろがっている。
そして極め付きは自分のおなら。高齢者によくある“歩きっぺ”だ。自分でも思いがけないタイミングで音が出てしまうようで、歩きながら鳴らしては笑う。その絶妙な間がおかしくて、こちらも大いに笑わせてもらうのだ。
※女性セブン2019年2月28日号