「すべての困難は、あなたへの贈り物を両手に抱えている」とは、『かもめのジョナサン』などで知られるアメリカの作家リチャード・バックの名言。苦労や悲しみを乗り越えた先には必ず、希望にあふれた未来がある──。42才・主婦のAさんが、そんな言葉を実感させるエピソードを告白します。
* * *
「月5万円も払ってんだから、もっといい点数を取ってこいよ」
そう夫が怒鳴れば私も、
「このままじゃどこの高校も入れないわよ! バカ息子!!」
などと続ける。当時の私たちは、息子の成績が落ちていくことが信じられず、その責任を息子になすりつけていたんです。
3才で文字を、5才で九九を覚えた息子を、私たち夫婦は、神童とばかりに自慢に思い、将来を期待していました。ところが、入学した地元の公立中学校は荒れていて、授業妨害は当たり前。既定のカリキュラムすら進まない状態でした。
それでも、うちの息子だけは頭がいいから大丈夫、と思い込んでいた私たちは、学校がダメならと、中学2年生から進学塾へ通わせることに。しかし、学校で基本すら習っていなかった息子は、塾で最下位の成績を取ってしまったんです。息子もショックだったようで、やる気をなくしてしまいました。
そんな息子の様子に、私たちは焦りました。成績が上がらないのは怠けているからだと決めつけ、毎日のように怒鳴りつけてしまったのです。
そして中学3年生の11月。塾から帰ってこない息子から、
「成績を上げられなくて、ごめんなさい」
というLINEが入りました。ただごとではないと感じ、すぐに電話をしましたが、出ません。半ばパニックになりながら、スマホのGPS機能で息子の場所を捜すと、塾の近くにある6階建てのビルの屋上にいることがわかりました。すぐに駆けつけると、息子が手すりにもたれて下を見ていました。
「こっちに来なさい!!」
怒鳴る私の声を聞き、息子はわれに返ったようでした。
「ごめんなさい、ごめんなさい、もう許してください」
その場で赤ん坊のようにわあわあ泣き崩れた息子を私は抱きしめました。そういえば、最後に息子を抱きしめたのは6才くらいだったでしょうか。その時よりもはるかに体は大きく、しっかりしているのに、心はまだ幼いまま…。この時ようやく、自分がいかに愚かな親だったのかに気づきました。
その後は塾をやめ、自分のペースで基礎から勉強することに。高校受験に間に合わなくてもかまわないと覚悟を決めました。結果、息子は無事、私立高校に合格。
「行ってきます」と家を出る息子の背中を見るたびに、彼が生きていること、ただそれだけに幸せを感じ、胸が熱くなります。
※女性セブン2019年3月7日号